
霊的自己責任論て、いったいどんな根拠があって主張してるのかと思う。
つまり,自分がここに存在しているのは自分が選んでやってきたのだ。
親や環境や運命・障害なども自分が選択した結果なのだって話。
反論の根拠は何よって聞かれたら、確かにこっちだって、直感的に変だと思うとしか言えないんだけど。
直感対直感では議論にならないから、もしそうだと仮定してみた場合に、人が幸せになるかどうかという,プラグマティックな視点で考えてみようか。
障害は自分で選んできたんだって言われて幸せになると思う?
自分が苦しんでることに対して自分のせいだって言われるのは,自分が伺い知らないところで前世だかなんだか悪いことしてたからだ、その業が災いしてるんだって言う理屈につながるじゃない。
あほらしい。
そこには愛のかけらもない!!
だから私は腹が立つんだ。
自分で選んできたのだからって言う主張は,抱えている重荷を受入れていくことに役に立つのだろうか?
受入れるって言うのは感謝して喜んでって意味であって、あきらめ努力して無理矢理そう思い込むと言う意味ではない。
そもそもそこに愛があるなら,そのような苦しい作業が科されるわけがない。
愛は苦しみではない。
苦しみはすべて思い違いの錯覚から生まれてくるものだ。
人生が苦しみの連続であると言うのは思い込みだ。
自分が不幸なのは自分の業だって言うのも思い込みだ。
誰か他の人や運命のせいだというのも思い込みだ。
そもそも,自分や人生の本質が見えてないだけなんだから。
大きな声でシャウトしたい。
違うんだよ!!
あなたはホンの一部しか見ないで判断してるだけなのよ。
少し高いとこに上がるだけで、世界の美しさが見えてくるから。
今朝の朝焼けは、バラ色にあなたを包んでいたよ。
夕べも、月から愛のつぶつぶがこぼれて降り注がれてたよ。
いつだってどこだって
香しいブルーとピンクの愛の花びら(天使の羽かなあ)が
うふふふってさざめき笑いながら
軽やかにあなたの周りを舞っているよ。
ほら!
2009年が終わろうとしています。
何回となく経験している年の終わりだけど,今年もまたしみじみと思います。
こうやって生きてるって,なんてすごいことなんだろう!
太く短く生きるとか、無駄に長生きして人様の迷惑になりたくないという発想もあるようですが、私は元気に太く長生きしたいと思います。
長生きしてると、いろいろなことが実はすべてよいことだったと言うことがしみじみとわかってくることが多いです。
恋の破局が訪れたのは,ああ,この人に会うためだったのかとか。
病気をしたのは,ああ,このような新しい人生が始まることだったのかとか。
破産したのは、ああ、こんなにも人生をじっくり味わうことができるためだったのかとか。
長生きすると、悲惨な経験の途上ではなかなか思い出せない恩寵が実現してくるし,身をもって体験してわかってくることが多いです。
実現する前に命が消えてしまうこともあります。
それはそれで、存在の深いところでの至福をまざまざと実感することができます。
でも,幸せにはいろいろな層があります。
おいしいもの食べたわ〜いうれしい!
お風呂が気持ちいいなしあわせ〜
というのも、なにもそういうものがないところで超越した永遠の至福を感じるのと同じようによいものだと私は思います。
長生きはいいものですけど、そこまで待たないで今ここで喜びを見つけられたらもっといいですね。
その秘訣を三つ教えます。
1。うれしいこと,感謝することにフォーカスしてみる。
2。当たり前だと思い込んでることの中にある,喜びや感謝を発見してみる。
3。喜べるはずがないことを,感謝の視点から眺めてみる。
1から3になるにつれて難易度が高くなりますが、実はそれだけ喜びも深くなるんです。
長生きしたら自然にわかるけど、今見つけて幸せな年越しにいたしましょうよ,皆様。
みなさまのところにサンタクロースは来ましたか?
私は実はサンタは好きではありません。
いい子にしてたらプレゼントをやるなんてけちくさいからです。
いい子にも悪い子にも無条件の愛って言うのがクリスマスですものね!
まだ来てない人〜ごめんね・・・
まなみんサンタはばたばたして遅くなってしまいました。
今行くよ〜〜〜
ほら〜〜〜〜、はい!!
クリスマスは救い主の誕生だと言う。
キリストの誕生によってこの世に光がもたらされたと言う。
一年で一番優しい気持ちになる季節で,街全体がイルミの下で微笑んでいる。
そのお祝いは楽しいし、皆で愛を確かめ合うのもうれしい。
クリスチャンであってもなくても,関係なくうきうきして温かい気持ちになる魔法の季節だ。
この喜びは,実は毎日訪れている。
朝も夜も昼も。
楽しい時も疲れきったときにも。
この愛をキャッチしたときに,全身の細胞がざわざわと本当に目覚めてくる。
エネルギーと光に満ちた身体に変容していく。
そして愛と光とエネルギーをまわりに発信していくのがわかるだろう。
あなたに逢えたこの奇跡を感謝します!!
ありがとう!!
トランスパーソナル学やケンウイルバー研究を通してスピリチュアルな世界を合理的に追求している人たちは、学術の場ではかなり苦労している。
皆慎重に言葉を選び、正当派路線から遊離しないように、自説を秘めながら理解してもらえるのはどのくらいまでか、手探りで発表している。
そして実はこの人たちは、自らの学者人生、あるいは個人的な命そのものを守るために記憶喪失に陥ってるだけだということが、ゆうべはっきりわかった。
言葉でやり取りしているうちは出てこない。
嘘を言ってる訳でも、用心して慎重になっている訳でもない。
心をオープンにしても、とにかく記憶喪失なんだから思い出せないだけなんだ。
しかしそこで天使は尋ねる。
「あなた、人間じゃないでしょ?」
多感で夢見がちな少女じゃあるまいし、いきなりそうきかれて、ええ、そうなの、私天使なの、なんて答える人はまずいない。
もしそう答えられたら、スピリチュアルが大嫌いな尾崎先生はひいてしまって、もうつきあわない!って思うかもしれない。
しかし、天使はおかまいなく言う。
「人間のふりしてたら疲れるでしょ。」
戸惑いを隠せない科学者も、ダンスを見たら、全部わかってしまったと。
泣きそうになっていた。
そうなのだ。
言葉以前の何かは、言葉で説明するより光そのものを見ていただいたらいい。
感じるだけでいい。
言葉にしなくても通じてしまうんだ。
そう、そう、そう。
そうなんだ。
だいじょうぶ。
勇気をもってすすもう。
時代が受入れてくれるようになってきたから。
だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ。
合理性と言う足かせを捨ててしまいたくなるけど、これはやはり、死守しないといけない。
この世にとどまるための命綱だから。
光の世界へようこそ!!
おかえりなさい!!
そういうチャイコフスキーの作品があった。
今日のイベントのテーマは、冬の日の幻想。
私の冬のイメージはこうなのだ。
すべてが凍りつく空気の中、ダイヤモンドダストが舞って、
透明な光が、何にもさえぎられないまま静かに降りてくるのだ。
音も動きも何もない世界なんだ。
あるのはただ、愛のエッセンスだけ。
だけど、これが目に見えないから、みなはいろいろな幻想を抱くのだ。
天使もそのひとつの幻想。
見えないもの、形の無いものをどうやってあらわすのか、
どう翻訳していくのか、どれだけ忠実に表現できるのか、
を突き詰めて考えると、この、重さのある肉体がわずらわしくさえなってくる。
うまくしたことに、世俗的なデューティが次から次に襲ってきて、私はあちらの世界に浸ることができないようになっている。
日常の中にある神聖さとはいっても、純粋なあの神聖さはやはり、極限の集中を要求するものだったりするのだ。
私の呼吸の一つ一つ、指先から眼差しからすべての動きにならない動きの奥から、愛と光が世界に届いていきますように。
ブラームスのインテルメッツォ118-2
音と動きの奥から
降りてくる
降りてくる
出張授業って、何か宣教にいくような気持ちになる。
だって、この人たちとは、一生のうちもう二度と会わないのだから。
どれだけのことが伝えられるのだろうかと、祈るような気持ちで、しかし親しみやすくにこやかでユーモアたっぷりに教壇に立つ。
学生たちの反応は素直でかわいい。
すばらしかった。
短い時間に凝縮して知識と経験と愛を詰め込んだ。
私からのクリスマスプレゼントだ。
授業はKOKIAのありがとうでしめた。
不思議な季節だ。
街で出会う一人一人の人生を思う。
言葉にならないから眼差しで光を届ける。
微笑が皆に伝わっていくことを思い描いて。
橋の下で寒さに凍り付いている人にも、孤独な魂に震えている人にも、どうか伝わりますように。
ポジティブ心理学の真髄。
人はどうしたら幸せになるのか。
人の役に立つこと。
感謝すること。
ありがとう
ありがとう
毎日のようにひんぱんに起こると、どんなに信じがたいようなことでも日常茶飯事というようになるのだろうか。
生活の一部として馴染んでくると、ことさら排除したり特別視しなくても、あるがままに、「あっそう。ふうん」みたいになってくる。
人間の適応力はすごいな。
しかし、ここに生きているというこの神秘に、私は慣れない。
生かし続けている愛の力に圧倒されてしまう。
その愛を伝えようとタイプするために動いていく指先を見つめながら、
私は言葉をなくしていく。
そして私は
急な階段を駆け上がっていく・・・
宇宙物理学では、宇宙の始まりは気が遠くなるほど昔だと計算している。
前提となっているのは、そのとき時間の流れが現在と同じように流れていて、物質も現在と同じような法則に従っていたと言う理論だ。
その前提を問う学者はいないのだろうか。
究極の創造と言う出来事を3次元世界で説明しようとするから無理があるのだ。
ビックバン仮説もある意味ばからしい。
じゃあその前はどうだったのか、と言う永遠の難問が待ち受ける。
3次元で説明しようとするからだ。
違うのだ、全く。
宇宙は今この瞬間に誕生しているのだ。
そして今この瞬間に消滅しているのだ。
誕生させているエネルギーは、愛による交わりだ。
一番始めはどうだったのかとか宇宙の終わりはどうなっているのかという問いには、はじめも終わりもなく、誕生し続けているだけなのだと言うしかない。
実際そうだし。
これは何も意識だけの話ではない。
論理的に考えてみてほしい。
光の早さを計算して、今見ている星の光は、自分が生まれるずっと前に放たれた光だと言う。その説明を受け入れてる現代人。3次元ではそう説明するしかないからかなり無理してるって気がしてならない。
暗在系って言うのだったか。
見えない世界/ダークマターの不思議を考えたら、もうそろそろ、3次元で説明することの愚かさに気がついたら良さそうだと思うんだけど。
最新の理論物理学者はどういってるんだろう?
実は、確信をつかんでしまった。
宗教と科学が出会う真なる絶対のリアリティが見えてしまった。
つまり、時間と空間の極限をリアルに体験してしまったのだ。
心理学的に無難な言い方をしたらそのようなビジョンが見えたと言う表現になるけど、実際私はそこに立ち会ったのだ。
私にとってはリアルなのだ。
荒唐無稽だと言われたり、ついにいかれてしまったかと思われてもしようがないけど。
でもきっと、わかる人はわかるはずだ。
宇宙物理学者と話してみたいものだ。
私のことを好きになる人がいる。
よく考えてみたら、私じゃないものを私の中に見てるからではないかと思った。
私の中に時々出てくる天使を見てるんだきっと。
彼は神々しくさわやかで圧倒される。
賢いし忍耐強いし、すべてを見通して穏やかで優しい。
どこまでも深くて透明で美しいから誰だって好きになるんだ。
素晴らしすぎるよ。
私だって狂おしくなるほど愛してるよ。
他人の中に天使を発見したときには、同じように圧倒されてしまう。
恋愛と同じような高揚感があるけど、何かが違う。
その性質はすべての人の中にあるから、彼でなければいけないという風に限定されないんだ。
だから自分を愛してほしいとか独占したい気持ちにはならない。
唯ただ、その美しさに感動して、圧倒されてしまうだけだ。
この美しさを共有していく喜び!
天使には天使がわかるんだ。
ああ、あいたかったよ。
ずっとずっとはじめから一つだったんだものね。
ツインソウルとかソウルメイトとか言う言葉があるけど、私から見たら、みんながそう。
高いところではみんながそうなんだ。
地上のは仮の姿だからね。
心理学では、痛みによる共感とかよく言われるけど、最近は喜びや光の共感が多い。
きっと、どんどんこの傾向が広がっていくだろう。
こわいくらいに加速してきたよ。
いったいどうなるんでしょう。
うれしすぎる毎日。
身体を大切にいたわりつつ行かないと、火のような喜びの情熱で焼き尽くされてしまいそう。
今朝起きたらふとこんな言葉がよぎった。
「すべてがうまくいく。」
なんという確信に満ちたうれしいメッセージなのだろう。
さらに続く。
「すでにすべてが成就している。」
ああ、そのとおりで。
もう何も言うことはない。
けど、今日の仕事準備とか明日の段取りはしないといけませんよ。
夢に浸りつつ、足元も見て今日もこなして生きましょう。
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