
心理学者ってどうしても心理主義になりがち。
つまりいろんな問題の原因を個人の性格にあると結論しがち。
そして、カウンセリングだったり教育だったり、心がけだったりで直ると思いがち。
でも、性格や行動の問題は、物理的あるいは生理的なことが理由だったりもする。
つまり脳の微細な障害や、機能異常、低下だったりすることもある。
そのような場合には、単純に、冷やす、水分補給する、血流量を増す等で劇的に改善したりすることがある。
脳も肉体の一部だから、うまく機能しないときにはおかしな発想をしたり恐怖症や不安などのネガティブさから抜けられなくなったりするものだ。
そういうときには努力ではなく、処方箋を。
今、点滴を受けて頭の状態が急に変化したので、このことを思い出したのだ。
一番大切なことは,休息。
脳の休息とはつまり睡眠よ。
疲れすぎて眠れないときには、身体を動かしてみるのがいい。
そしてぐっすり休んだあと、脳の調子が健康になったとき、自然にポジティブになって元気になっていることがわかるはず。
猛暑、ご自愛くださいね。
言葉は要らないよね、もう。
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人生最良の時っていつだろう?
人生もまとめの段階になってくると、身体も精神もスピードや強さが衰えたり、絶え間ない痛みが友人になってしまったりということだってあるだろう。
時は移り変わり、思い出深い見慣れた風景は開発で失われたり、感動を共にした大切な人々も遠くに行ってしまったり、ということもあるだろう。
昔はよかったな・・・
あの頃に戻れたら・・・
と思うかもしれない。
もしそうだとしたら、なんと幸せな方なのだろうあなたは。
決して戻りたくない、思い出すのも耐えきれない人生を過ごしてきて、今、ようやく息がつけるささやかな落ち着きにほっと感謝している人がたくさんいるのを知っている。
子供のころの楽しかった思い出や、結婚した時、子供が生まれた時など、数々の素晴らしい思い出がある方は本当に幸せだ。
それらを思い出して浸っているだけでうっとり楽しくなるだろう。
それに引き換え今は、
すべてが失われてしまった・・・とがっかりしないで欲しい。
思い出はいつまでもあなたのものなのだ。
あなたが消してしまわない限り、その美しさはいつどこでも再体験できるのだ。
あなたがそうしようと思えばいつでも、その感動が蘇るのだ。
それらの宝物をこんなに豊かにもっているあなたはなんてラッキーなんだろう。
そうしたら、人生最良のときは今この瞬間しかあり得ないことがわかるだろう。
そういう意識が持てることがどれだけ喜ばしいことか感謝に満たされるだろう。
こう考えてきたら、人生は瞬間瞬間に喜びと感謝が増してきて、
クライマックスはきっと、死ぬ瞬間だなということがわかってくるに違いない。
だから今日も、素敵な経験を積み重ねて行こう。
(暑さで溶けそうになるっていう経験も、少し離れてみたら滑稽で楽しかったりするものだわ。いってらっしゃい!)
気分が沈んで疲れているときにはいいこと探しをして元気になろう!というのがポジティブ心理学で強調されているように思う。特に感謝。
しかし、沈んでいるときには感謝を思い出しても、それに対し自分は何も返してないとか、自己嫌悪の念がわき起こってくることさえある。
ポジティブになるためのワークはたくさん知ってるし人にすすめるし、そうやって人も自分もチアーアップしてるのがいつもの私だけれど、最近、沈んだままでいたいなんて妙な気持ちになっている。
何が悲しいとか嫌だとかそういうゲンジツ的に単純な理由がある訳ではないけど、なぜか沈潜したい自分がいて、これってなんなのだろうと考えている。たぶん人生そのものにつきもののもの哀しさというものだろう。芸術を極めるとその美しさの際に現れてくるものだ。
もの哀しく何もしたくなくなり人にもあいたくなくなるから、精神病理学的に言えばうつ傾向ということなんだろうけれど、この状態が別に嫌いではない、というのが興味深いかも。
と言って自虐とかマゾでは決してない。
このゆったり深い感覚が好きなんだ。
有限から幽玄の世界に降りて行くような怖さ。
狂気の世界に引き込まれてしまいそうになる危うさ。
そのすれすれのところを味わっていると言えばいいだろうか。
シャーマニックな芸術家たちはきっと、有限と幽玄を行き来しつつエッジの上でそのビミョーなバランスの上に身を委ねながら踊っているのだろう。
日本には滅びの美学があって、侘び寂びが強調される。
美しさとは元気一杯の中よりも、かすかなそこはかとなさの中に香る。
そういう深く鎮静した文化の美を堪能しつつも、このままでは活動できなくなるという危機感から、ポジティブなスピリチュアリティを求めてホイットマンなどを読む今朝の私。
このまま深く鎮静していたいと思うけど、非情にも散文的な世界につれもどされてしまう日常。
健康心理学的に言えば、健常な適応を促進するイベントなのだが。
溜息を漏らしつつ 目をとじては開け、
今朝も高い雲の上に天使捜しをしてしまう。
世界一幸せな国デンマークは何故幸せなんだろうといろいろ考えた。
さわやかな気候や社会保障制度という理由は確かに悪くはないけれど、それだけで説明がつかない部分がある。
国際会議で知り合った人たちとメールやり取りをしながらこれだ!と気がついたことがあった。
それはなんと、自由恋愛のおおらかさだ。
愛し愛される親密な人間関係の幸せと言ったら天上にも昇るようなものだろう。
しかし同時にそれにともなう苦しさも古くから小説や詩などで表現されてきた。
何故恋愛が幸せの要因になるのか?
深く掘り下げて行く本物の愛は、人類全体や宇宙を包括する愛にあふれてくるからなのだ。
この愛は相手を束縛したり独占しようとしたりすることがなく、お互いの自由度が限りなく広がって行くという性質を持っている。結婚という制度にも縛られないから不倫なんて言葉も概念も当てはまらない。そこには限りなく慈しみ合う愛があるだけだ。
育児に関する責任も、愛にともない喜びあふれパートナーに関係なく行われる。
男親として育児休暇を楽しみながら、私に平気で軟派してくる(ああ、そういう下品ないい方はにあわないわ。笑)素敵なデンマークの学者。
私は、素敵な人だなって思いつつ、え子供がいるの?とがっかりして、古典的に、日本的に、かちかちのクリスチャン的に、反射的に距離を保とうと、二人っきりの運河沿いロマンチックなディナーのお誘いを断ったのだった。
(思い過ごしだったりして・・・爆笑)
実は私はこれには非常に全く驚いた。
彼が軽い人だと言うのではないのだ。
全くの自由でありながら、義務も責任も喜びのうちに果たしているのだ。
それを保障する社会制度という枠組みがあるというのは北欧の大きな強みだと思う。
しかし、社会的枠だけでなく最もすすんでいるのは人々の意識だった。
マズローが言うように、非常に健康な人たちの間ではすべきこととやりたいことが一致し、自分の欲求が他者の欲求や社会の幸せに貢献する。まさにその通りの世界になっているのだ。
メールのやり取りをしながら、このような様相が明らかになってくると本当に驚く。
なんて幸せな世界なんだ。
ワールドカップのデンマーク戦で、日本勝ってるねおめでとう!とニコニコして教えてくれたあの、コペンハーゲンのレストランのウエイターも、お愛想ではなく本当に祝福してくれてたのだった。
なんて幸せな国なんだろう!
そしてこの世界は実現する可能性があるのだ。
だって意識の問題なんだから。
なんて喜ばしい発見なんだ!
不幸な衝撃に襲われた時・・・
最愛の人の死別、事業の失敗、信頼への裏切り、などなど・・・
人によっては固く心を閉ざしてしまったり、動けなくなったり、歪んでしまったり、最悪立ち上がれなくなるわ。
どんなに歪んでしまってもかたくなに閉ざしてしまったとしても、それは生き残りのための賢明な防衛だから、必要だったのだから、誰もそのことを非難はできないわ。
死なないでよくやってきたじゃない、それは素晴らしいことだわ。
本当によくやってきたわ。
それはあなたの強みよね。
そしてそれは本当に必要だったのよね。
でも、そんな風にしなくても大丈夫だってことが、たぶんもうすぐわかるわ。
心を開くと、どどっと現実が襲ってきて受け止めきれずに崩壊しちゃうんじゃないかって恐れているあなた。
実は違うのよ。
ショックで感情が混乱して、事実以上に心配し悲観的になっているだけなのよ。
事実を一つ一つ冷静にたどってみたら、そう悪くないってことがよく見えてくるものなのよ。
まず、これ何故起きたの?
何をしようとしたの?
今までどういう風にやってきたの?
何を期待したの?
何が起きたの?
どう対処したの?
できることはなに?
丁寧に吟味してみたらきっとわかると思う。
現実は思っているほど悲惨ではないって事実に気がつくと思うわ。
そう思えないときは悪いスパイラルが起きてるから、思考を断ち切って気分転換が必要ね。
それには身体を動かすことと笑うことが最高よ。
それは逃げるためじゃないのよ。
もっと現実をしっかり受け止めるために必要な知恵なのよ。
やってみたら良くわかるわ。
汗や涙なんかでストレスホルモンを放出したあとは、同じ現実が違って見えてくることにきっと気がつくわ。
不幸な衝撃って誰にでもあるけど、その時何を思うか。
その瞬間には難しいけど、衝撃が少し和らいだときに、
これを材料にして、自分の人生や社会に対してどう生かしていくことができるかを考えたらこんなに楽しいことはないのよ。
その時、失われてしまったエネルギーがむくむくと蘇ってくることに気がつくわ。
他者や社会のために何かするときに出てくるこの喜びに身たちエネルギーこそが、
実はみんながもっている命の本質なんだから。
これって勉強したり本読んだりしてもわかんないのよ。
実感しないとね。
これは心と頭を柔らかくしないと気がつかないから、そのために私は今日もあなたを笑わせようと企んでるのよ。
バッチアダムスさん最高!
世界の一流人を調べてみたら、その水準に達するのに10年から17年かかっているということをきいた。
自分の得意とすることに集中し、弱みの克服とか強みでないものをやったりしないでひたすら強みだけに全身全霊をかけて打ち込むことによってそれは達成できるらしい。
広く浅く器用にやりこなすことは気晴らしのお楽しみになるかもしれないけど、得意なことで世界一になることに比べたら充実感は少ないだろう。
強みとは、話したり考えたりしてると楽しくて生き生きして元気が出てくるようなことだ。
まずそれを見つけよう。
見つけたらひたすらやってみようその楽しいことを。
ね。
限られた人生、あなたは何をしますか?
10年後のあなたは何をしていますか?
昔、二人の娘を傘屋と桶屋にお嫁に行かせた母親がいた。
彼女は、晴れると、傘屋の商売が成り立たないと言って心配して嘆き、雨が降ると、桶屋の仕事が大変だと泣いていたと言う。
その結果、心配性の母親はいつも泣きながらその人生を終えたという。
昨日の激しい雨と気温降下に、靴が濡れ凍えて風邪を引きそうになって雨を鈍い、晴れ渡った今朝の空を見ながらまた暑くなるのだろうかとうんざりしてしまった自分に、心配性の母親の姿が重なった。
昨日の雨のおかげでこんなにもクリアな空に空気が洗われた。真っ白で神秘的な世界はロマンチックなノスタルジーを誘っていた。何よりもとても涼しく、エアコンなしでドライだけで寝むられた。ありがたかった。
今朝の澄み切った空気は、遠くの山々まで何重にもくっきりと姿を見せてくれた。ぽっかり浮かんだ雲はもうすぐ始まる夏休みを期待させてくれる。洗い流されたベランダで今日はお洗濯物がしっかり乾きそうだわ。うれしいな。
夕べの物悲しい気持ちは、もうすぐ死んでしまうんじゃないかっていう気持ちにまで私を追いつめた。もうすぐ死ぬんじゃないかという気持ちは実はけっこういつも感じている。でもそれは恐怖ではなく,この生きている瞬間の愛おしさ、出会う人たちや出来事へのしんみりした味わいとなっていて、すべてに涙が出そうな感動をもたらしている。これもまたいいものだなと、つくづく思うのだ。
幸せになるかどうかは全部自分自身の選択にかかっている。
今朝突然浮かんだこのフレーズ、気に入ってしまった。
この国では、能力があるとか恵まれているとか幸せであることに対して、隠すことが奨励されている。それは他者からの羨望や敵意をかわすための適応行動となっていることは研究でも実証されている。
しかしこの、能力を隠す、幸せを隠すことに費やすエネルギーを、他者にそれを分かち合う行動や態度に変換したらどれだけ大きな喜びが増していくことだろう?
不健康な平等主義の中で、小さい頃から経験によって叩き込まれる、自己表現、自己開示、自己創造の否定は、教育現場では協調性という名の下に強化されていく。教師自体が無意識的にそのような態度を身につけている限り、子どもたちに豊かな個性発揮やエンパワーメントなど望むべくもない。
非常に残念なことだけれど、個性的で自由な、生徒・学生あるいは患者に好かれる良い先生というのは、組織の中ではそれこそ脅威として出るくいとなって、排斥されてしまうことが多い。このような方は社会性がないのではなく、実は成熟しているがゆえに、権力や出世という表面的なことに価値を見出さず関心を示さず、ただ淡々とそこにいる人の一人一人のために嬉々として働いているだけなのだ。多くの場合、排斥されるのを承知で、魂をかけて挑戦しているのだ。
この愚かさや矛盾、精神的暴力を告発していくことも可能だけれど、ポジティブ心理学的に言えば何が効果的なのだろうか。
きっと今朝も、にっこりして「おはよう!」っていうことだわ。
それはあまりにも楽観的で、ポジティブイリュージョンでポリアンナ状態だと評価されるかもしれない。
ポリアンナと同じようにどのようなところにも良いところを見出そうとするけれど、違うところは、そうではない実態を真摯に見つめていること、そしていいとこ探しで解決するほど単純ではないことを知っていることだ。
誠心誠意、魂を込めて満身の善意で行っても虐殺される人はいる。
その非情な現実認識がありつつ、なおも信じることをつづけるというのはきっと、勇気とか正義感とか言われるものだろう。
しかし、それに必要なのは正義の味方の真っ白なマントと磨き上げた剣より、無邪気さやユーモアという天からのお恵みにちがいない。
だから私は、今日も小さなお花を見つけては「わ~すてき!」とあきれられつつも踊りまわるのだ。
うふふ~
真実でない世界で真実に生きることは、時に死を覚悟した挑戦になる。
そのことは歴史が物語っている。
老賢者は語るだろう。
そのような改革は、自分が力を持ってから行いなさいと。
しかし、その階段を上るために、どれだけの欺瞞に耐えなければならないのだろうか。
世の中の変化に関心を持たずに我が道を行く芸術家や世捨て人もいる。
それはシャウトであり、時に過激な形で真実を突きつけることになる。
世の中の矛盾や不順に耐えきれなくて精神を病んでいく人たちもいる。
真実をかいま見てしまった限り、もう無視することはできない。
それを生き抜くことしかできないのだ。
偉人と呼ばれる人たちは皆きっと、そのような魂の衝動に抗することなく生ききったのだろうと思う。限られた短い人生のなかで、魂の呼び声に忠実に生きること、真実に生きることは、本当の幸福に通じると思う。
しかし、社会的には必ずしもうけいれられないことも多い。
迫害陰謀弾劾から暗殺まで、彼を愛する人々はどれだけ胸を痛めることだろう。
そこでまた老賢者は言うだろう。
すべてに時期がある。
インテグラルに物事を見よ。
清濁あわせのむ知恵が必要だと。
真実を生き抜いて行く勇気とともに、現実に生き抜いて行く知恵が
どうぞ与えられますように
そして健やかに、今日も豊かで幸福な人生を歩んで行けますように
ムーブメント・ダンス・写真・絵・音楽などの表現は論理的にその効果を説明するのは難しいけれど、確実に人を元気にする作用がある。
それがエンパワーメントということなのだ。
エンターテインメントという響きには何かそのときだけのせつな的な印象あがるけれど、エンパワーメントは深く響いて本質的なところに到達して、人生そのものを変革してしまう働きを持つのだ。
私がコペンハーゲンで出会ったフィンランドの偉大な哲学者はそのことを教えてくれた。
私が気がついていなかったことを教えてくれた。
私はあくまで楽しい好きなことをやっていただけで、結果としてみなが元気になってよかった~と思っていただけなのだ。
無意識的にやってきたムーブメントの効果などを、新生児と母親の交互作用に見られる動きや眼差し(つまり愛の表現)に根拠を示しているアメリカの心理学者がいるそうで紹介された。
また、信じていることにしたがって、人間性のすばらしさを科学的に検証していくことの喜びを分かち合った。ベルギーの若手心理学者からも、イタリアの修道女の心理学教授からも、何人からもメールをいただいて本当に勇気つけられた。
人に理解されない新しいことをしていたら、いくら信念を持ってやっていても、研究費は取れないし、世間の冷たい眼差しに時に不安になるというか、無視されることは多いし、葬られてしまうことさえあって、どれだけむなしい悔しい思いをしてきたことか。
私が国際学会に行くのは何も観光目的ではない。
世界にはわかってくれる友人たちがたくさんいるのだ。
そのことの確認であって、いつも私自身がエンパワーメントされるのだ。
次の機会まで、このエンパワーリングな芸術のなぞを言葉で説明できるよう探りつつ、私自身のあり方がエンパワーリングであったらいいなと思った。
挨拶や笑顔を向けても返してくれない人が結構いるんだけど、
つかれきっているんだろうな~
悩みがあるのかもナ~
頭がいたいのかもナ~
まぶしすぎるのかな~
とにかく私はエンパワーメント
世界を元気にしていくわ。
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