尾崎真奈美の天使語同時通訳します

みんなが違っていてみんなが正しいっていう意味

正しいことがいくつもあるなんて・・・
そしたら○×のテストできなくなって困っちゃう・・・
点数も順番もつけられないじゃない。
入試の選抜も出来ないじゃん、どうするのよ・・・

大丈夫です。
新しい方法があるのです。
みんなが正しいのです。
みんなが違ってるんですけどね。

どういうことかって?
みんなが言ってることや思ってることが、どういう人がどういう状況で何を目的にして誰に語っているか伝えたいことなのか、なんかで何が一番いいのかが変わってしまうんだと言うことにきがついたらいいだけなんで。
そのときその人がそう思ったりしたりすることには、全部その理由があるしそれが一番美しいことなのです。
つまり、みんなが違っているけど、みんな正しいことなのです。

だからさあ・・・
どっちがすごいとか、どっちが偉いとか、比べるのやめようよ・・・
あなたはこういう視点から、これを目的にしてるのね。こういうバックグランドがあるのね。
私と随分違うけど、そういう視点があるから補ってもらえて嬉しいわどうもありがとう。

議論なんて、全部それで終わりになるはず。
でもって、みんなにこにこ〜〜〜

コメント

投稿者: フォトン

私たちはなんという不毛なことばかりしているのでしょう!
それでもミーティングは、なんだか自分は仕事をしているなぁと実感できるので好きです(笑)

2008年09月23日 07:01

投稿者: lamp

心の広い人は偏見に束縛されることがありません。ある辞書は,その偏見という言葉を次のように定義しています。「好意的であろうとなかろうと,事前に形作られた,あるいは当然に行なうべき調査をせずに形作られた判断や意見; 理性や公正さ以外の根拠に基づく知的決定; 特に,性急な,あるいは悪い方向に偏った意見」。
一方,心が広いとは,新しい情報や着想に対する受容力があることを意味します。そして,偏った態度を取らずに情報を喜んで調査し,評価することを意味しています。価値のある情報と無価値な情報を取捨選択すれば,しっかりとした根拠に基づく明確な結論に達することができるうえに,将来のある時点でさらに付加的な情報が手に入るようになれば,さらに調整を加える余地を残すことになります。すべてを学び取ったと考える人は,その考え方に邪魔されて,より多くの事を学びつづけることは決してできないでしょう。
心を閉ざすのは知識の欠如の表われかもしれません。ある問題について知っていることがごく限られていたり,情報があまりにもゆがめられていたり,不完全だったりするために,きちんとした結論を出すために必要な諸事実が欠けているのかもしれません。その問題に関する関心の欠如や,その問題を調べてみようという気持ちにならないことの表われかもしれません。事実それは不安や疑いのしるしでさえあり得ます。例えば,自分の宗教的な見解を擁護できないと,自分の信条に異議を唱える人に対して,筋の通った論議によってではなく,悪口や当てこすりによって痛烈な非難を浴びせていることに気づくかもしれません。これはいくらか偏見があり,心が閉ざされていることを示しています。
また、心を閉ざしているのは,ある種の利益を保持したいという利己的な欲望の表われである場合もあるでしょう。心を広くすればその利益を失うことになるかもしれないと思うのです。特権を他の人種グループの人々と分け合う気持ちがないため,特権を享受しているグループは,「我々のほうがお前たちよりも優れている」という偏見に満ちた考えに引きこもり,そうではないことを示すどんな証拠に対しても心を閉ざすのです。
あなたは自分のほうが劣っているかもしれないということを考慮できるほど心の広い人ですか。それは知るだけの価値があります。心が広ければ自分にとってプラスになりますが,心を閉ざすとほとんど必ずと言ってよいほどマイナスになるからです。
また偏見と関連して、知性とは「自分が環境の中に存在する者であることを知るという特性,また知識を習得し保持する,経験から学び理解する,問題を解決する,絶えず変化する状況にうまく対応する,といったことができるという特性」である,と科学者たちは考えています。とありました。

2008年09月23日 09:07

投稿者: まなみん

自分の方が劣っている?
そういうの,受け入れ難いでしょ?いやですよね。
それッて比べてるからよ。
比べないでいいのよ。
私は最高にすばらしいのよ。
あなたも最高にすばらしいのよ。

2008年09月23日 11:29

投稿者: No Name

 ありがとう~これまで消極的考えで育ってきた身としてはとてもうれしい!みんながそういう見方が出来たらいいな。
 自然界の法則を定めた方も人を他の人と比較してみることは絶対されないから。
 それで、自分自身や他の人に関して,家柄,人種,肌の色や国籍,身体的な美しさ,才能,知識,頭のよさなどのことでごう慢になったり,高慢になったり逆に卑下したりするのは的外れだってわかります。
 実際自分にあるものでもらったものでないものはあるでしょうか?下さった方に感謝し、喜んでいただきたいですね。

2008年09月23日 21:48

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プロフィール

尾崎真奈美尾崎真奈美

東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。ペンシルバニア大学医学部精神科、東京大学医学部公衆衛生学研究室などを経て、現在相模女子大学人間心理学科准教授、米国サーチインスティチュート、スピリチュアリティ発達センター客員研究員。
インテグラル心理学・スピリチュアリティ論・芸術療法などを教えながら研究、ダンス、執筆活動を続け、科学と芸術の統合を試みる。
天使語同時通訳は日々のインスピレーションの書き散らしである。
国際生命情報科学会、日本トランスパーソナル学会理事。日本心身医学会、日本トランスパーソナル心理学・精神医学会、国際ポジティブ心理学会会員。

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