
傷つけられたとき、相手に対してネガティブな思いがよぎるのが普通です。
破壊的・攻撃的にならなくても、恐れ・混乱などなど。
そういうときに思い出して欲しいことがあります。
この痛みは、加害者自身の痛みだって言うことです。
そう、この人自身が受けた傷なのです。
そして、それを無防備に無意識的に表出してるってことは、今のあなたよりもっと幼くて、弱くてどうすることもできないときに受けた傷だってことを意味してます。
そのことを責めることができますか?
自分より小さく弱い存在の受けたこの痛み。
あまりにも強烈で、生命を脅かしてしまうほどだったから、無意識にしまわれたのです。
そんな壮絶な体験をしてきた目の前にいる小さな人に対して、あなたは怒ったり憎んだりすることができますか?
あなたが痛みを感じる、傷つくということは、あなた自身がそれを体験できる強さをもっていることの証拠です。
あなたはこの人よりずっと強いのです。
加害者を恐れることは何もないのです。
傷つけるすべての人は非常に弱い人たちなのです。
保護を必要としていることをうまく表現できない人たちなのです。
これに気がついたら、どんな憎しみでもその場で即座に消えていくはずです。
深いですね。人を許すことの真髄はこれだったんですね。
加害者イコール被害者であったこと。
2008年11月15日 20:33
そしてそれは、実はあなた自身だってこと。
これに気がついたら、どんな人だって責めたりできないわ。
2008年11月16日 16:19
無限の愛はすばらしい。
だけど組織的、グループを作って のっこら やってくると
キズだけじゃすまなくなるよ。
こちらが良かれと思っていても、相手は思っていない。
無防備に振舞っている間に わき腹 ブスってね。
善悪の観点も必要だと思います。
ベルゼベフ、マーラパピアスを無防備にさせておいたら
余計ひどくなりそう。
そういう世界もあるけど
下のほうで戦って守ってるの大変なんだよ。現実は。。。
2008年11月16日 21:33
確かに、考えさせられますね。
どう説明したらいいんだろう・・・
2008年11月17日 12:58
遅いお昼。
たぶん、悪の助長が焦点。
悪を助長させない愛。
一定の限度を超えると出て来る気付くことを教える愛。
愛を忘れ調子に乗って悪を助長することへの戒めの愛。
本来の裁きって、こう云う意味だろうと思う。
基本は、その人が持ってる輝きを取り戻させる愛。
2008年11月17日 13:48
ちょっと、自分の中で違和感を感じる部分があって、
良心的な人と、そうじゃない人がいるという現実。
人々を騙して、戦争を引き起こしたりする人たちって
やっぱり許せない。
この世からいなくなればいいなどとおもう。
私の思いはさておいて、
最初の人間アダムとエバは子孫と違って、完全だった。
新約聖書にアダムは自分の子孫を罪と死に売り渡した
とあるように意識的にエホバの主権を退けてサタンの
指導を受け入れた。
目が開け神のようになって善悪を知るという欲望を抱
いてしまったのだ。
神はこの二人は許さなかった。永遠に生き返る(復活する)
こともない。永遠の滅びだ。(罪の報いは死)
ただし、神に背いて不完全になった後も子孫を設けること
を許された。サタンが持ち出した宇宙主権の論争に決着を
つけるためだ。サタンの支配する人間社会つまり神の助け
なしで首尾よく収めてやっていけるかどうかどうか証明す
るためだ。
神はどんな不利な状況下でも物事をご自分の目的どおりに
行える方なので、反逆したサタンや人間を滅ぼすのではな
く、この論争が一度限りですむように証明する時間をお与
えになった。
そしてアダムによって罪(不完全で倫理的もしくは知的な
目標または標準から外れる,あるいはそれに到達し損なう
の意味がある)と死に売り渡されたことを知らないアダム
とエバの子孫を神は憐れみをもって深く愛してくださり、
罪をあがなって、拭い去る手立てを設けてくださった。
そのことを信じられるかどうかは聞いた人自身の自由意志
に関係しますが、神はいつまでも罪を容認したりはされません。
人によってはエホバはなぜご自分の基準を下げて罪と反逆の
事実に目をつぶらなかったのかと思うかもしれません。
それには神の欠かすことの出来ない特質が関係しています。
それは神聖さです。エホバは清く,清浄で、どんな罪とも全
く関わりのない方です。(イザ6:3;59:2)
神の考え方からすると立ち返ることの出来ないような邪悪な事
を行った人、ユダイスカリオテとか、イエスを何度も殺そうと
したパリサイ人など許してはいけないと思いませんか?
2008年11月17日 16:07
神に敵対することを意識的に行うなら許されないけど、知らないで犯した罪、不完全さゆえの罪(思いも含めて)はイエスの贖いをとおして許されルので自分なんかなんて思う必要はないですね。
2008年11月17日 17:48
小さな間違いを犯す自分が他の人を裁くことは
出来ませんね。
裁きは神のものとあるので、巨悪はエホバ
におねがいできますし、1年10年たって許せる
ことは今許すよう努力したほうがずっと平和
に貢献できますね。
2008年11月17日 18:33
そのまま行ったら大事になる前に
注意することくらいは 裁きにならないでしょう。
時と場合に依ってしかることは必要です。
大事なのは、善き方向に向かうことを前提に仕組むなら
それもこの世では有りです。
特に金銭、力関係が関ると たち位置をわきまえつつ
仕向けるってこともありますよ。
正直に全て言ってしまって混乱するってこともあります。
全体の秩序がありますから。
2008年11月17日 18:49
先ほど○○○の証人の伝道女性が組みで来た。
新しいアトリエに移ってからお初です。
私は仕事が当日締め切りで無い限りウエルカム。
で、例の如く始まります。偶像崇拝はしないという。
よってクロスも何も無しだという。
美的抽象化された美しさはあのクロスにあると思っている。
暗闇でクロスから漏れる光は美しい・・・と言ったが…。。
良いではないか、その位・・・//
サタンをとても気にしていた。
あまり気にしすぎて懐疑的になるのも生きにくいに違いない。
そう言えば仏教は失敗の原因を他人や環境のせいにしない教えが組み込まれている。
かたくなさが敵をつくるんだよ~言ってみたが
わかってくれない? 逆に信仰心の強さを再確認、納得されて^^;
その敵が作った飛行機に乗り、農産物を食べ、作ったシステムを
享受して今生きていられるかも…と言ったら、無言。。。。
神に感謝はするのだが、周りの人への感謝はどこに行ってしまった?別に強要することでも無いが・・・・・
○○○を信じていない人は天国に帰れない…なんて
いきなり言っちゃダメだよ。
ずい分前、仏教の本を見せたら後ずさりされて帰られてしまった。
とりあえず聖書もあるのに。。。。
そのとき言われた。『汚らわしい・・・』
???極端だよ。彼女達。
2008年11月19日 19:20
>その敵が作った飛行機に乗り、農産物を食べ、作ったシステムを享受して今生きていられるかも…
クリスチャンのする格闘は人間に対するものではなく、もろもろの政府と権威、またこの闇の世の支配者たちと、天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです。
真のクリスチャンは人間を敵と思ってなんかいないので勘違いですよ。
神と隣人愛、それがクリスチャンです。
それに裁くのは神であって人ではないです。
私は仏教の人に聖書の話をするときは仏教の知識を持っていなければならないと教えられました。
クリスチャンといっても、皆勉強中で、
全てのことに正確な知識が伴っている
わけではありません。それで、その方の個人的見解がはいっていたと思います。
それともからかっていると誤解されたかもしれませんね。
2008年11月21日 00:32
からかえるほど知識もありません。
ジョークと比喩は入ると思うけど。
考えを知りたいだけです。
転生輪廻に基ずく魂の成長発展と天国の関係の考えを言ったかも知れません。
罪ありきの魂に対して、成長する肯定的不完全な魂の考え方。
ゆえに魂は仏(神)に近づくことを学んでいる。
その目的はユートピア。
この世において達成されれば地球上の魂修行は終了。次に行きましょう^^。
転生輪廻の考え方が無ければ説明つかないはずなんだけど…
ところで質問。
クリスチャンってカトリック、プロテスタントの他
モルモンやエホバの証人もくくられるのですか?
その方、カトリックとプロテスタントの話をしたら
同じにしないでほしいと。
仕事がら世界の教会堂の写真集あるけど、それ見せてもあまり良い反応ではありませんでした。なぜかな・・・と思ったんですが
。。
2008年11月21日 18:30
聖書が教えてくれることはクリスタルのようで、偽善の入り込む余地はないです。
それなのに、歴史的に政治、商業に利用して、我田引水して巧妙に嘘を混ぜ込み、人々を誤導するために用いられてきたといきさつがあります。それをイメージしたので良い反応でなかったかも。でも結局のところその方でないのでどんな理由なのかよくわかりません。
真のクリスチャンとは簡単に言うと聖書の教えに本当に従っているかどうかということだけなんです。
厳密にいうとそれを判断するには人の心を読むことの出来る神以外では、不正確にならざるを得ないと思われます。
人間はそれぞれ今正確にわかっている範囲で従うことしか出来ないですよね。
それでより正確な知識にむかって継続的に学び続けるしかないし、上に向かって成長することをあきらめないことは重要だと思います。
2008年11月21日 22:53
提案ですが、特定の宗教や信条の話題はやめましょう。
宗教戦争になるのはみんないやなはず。
人それぞれ大切にしているものがある。
その人にはそれが大切なものだから、尊重しましょうよ、ね。
みなさんが持っている信念・信条はもちろん大切にしてください。
ただ、普遍的なものを目指しているときには、固有名詞はできるだけ使わないほうがいいのかもしれません。
2008年11月22日 08:15
なぜ固有名詞が出てくるのだろう。
たぶん固有名詞の枠をはめたほうが
タイトルや記事の内容を理解し易いからだろう。
出どこの波動が近いからだと思う。
イエス系では天使、釈迦系では菩薩 役目はほぼ似ているね。
この程度ならOKですか?
2008年11月22日 18:56
私が固有名詞といったのは、団体名や個人の名前のことです。
宗派とか、宗教の名前のことです。
ほめるのも批判するのも、そのコミュニティに属していてもいなくても、微妙に難しいと思いますから。
愛のエッセンス二フォーカスしていきませんか?
天使も菩薩もやめて、ウイルバーみたいに、スピリットで統一してもいいですけど。
2008年11月22日 19:57
そういうスピリット い・い・で・す・ね~
私の中にもあるスピリット。
スピリットらしい生き方しなきゃ。希望が出て来た。
天○や○薩と同じもの皆持ってるんだよ。
やめたいんだけど…やっぱりわかり易い?・・-。
2008年11月23日 16:26
こんばんは、mixiからきました。
初めてコメントさせていただきます。
心では、感嘆と「そのとおり」の言葉が流れているのですが、少し補完させていただきたい(知りたい)ところがあって・・「人を傷つける人は、同じ痛みを過去に負っている」という根拠を是非教えていただけたら嬉しいです。
例えばその人が人を無意識に気付かずに傷つけているとしたら、それはその人が以前同じ程度の傷を負った、とするとその人は残念ながら、そこ(痛みを受けた経験)から成長は遂げられないまま人生を進んできてしまった(痛みを知ったのに人に同様のものを与えてしまうことから)、ということなのでしょうか?
だとすると、「痛みを感じるということは受けた人はそれに足る忍耐力を持っている」とすれば、前出の傷つける人は、痛みを受けたのにそこから何も会得できていないことになりますか?そういう人に例えば私は、どのようなことをしてあげられるでしょうか?
実はこの「傷つける人」が最近愛した人にとてもよく似ていて読んでいると彼を想像してしまうので、どうしても気になってコメント致しました。
なんだかすっきりと理解できていなくて、ふがいなくてすみません。。。
2010年10月11日 22:23
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