
耳の聞こえない学生がいた。
音楽療法の授業ですばらしい音楽を聴いた。
彼が質問した。
「音楽が聞こえないのに感動した、これはどう説明しますか?」
なんと説明したらいいのだろうか。
私たちが見えるものは、たまたま可視光線と呼ばれる波長の波動だけであって、それを越えた波動はいたるところに存在していることが確認されている。紫外線とか赤外線とかいろいろある。見えないけど感じる。
音も同様に、聞こえる音の波動域というものがある。聞こえない音はどうもいたるところに存在していることが確認されている。超音波とかいろいろある。聞こえないけどその作用は観察できる。
見えないから聞こえないからといって、存在しないとはいえないのだ。
触れないから、感じられないからといって、存在しないとはいえないのだ。
すべて検出器の問題だけなのだから。
見えないものや聞こえないものがたくさん私たちの周りを覆っているのは事実だ。
それを何かの瞬間に検出することがあっても当然だ。
でも、それは通常の光や音ではないから、言葉で表すのは非常に難しい。
その見えないもの聞こえないものの正体は、超高速の透明な光というのが一番近い実感なんだけど。
見えないけど聞こえないけどその作用は明らかだ。
心があったかくなる。
生きててよかった、って感動する。
すべてのものにありがとうっていいたくなる。
感謝と感動の涙・・・
見えないけど、聞こえないけど、確かにあるんだ。
それをみなは愛と呼ぶのだと思う。
このような感じのお話をガチガチの科学者さんの知人にしたところ、
「不安になる」
と言っていました。検知できないだけでなく、それは彼らにとって「恐れ」の対象であるようです。
2008年12月06日 12:57
愛が恐れの対象?
ちがうでしょ。
何かほかのものにフォーカスしてるんじゃないでしょうか・・・
2008年12月06日 20:21
そうかもしれません。
ただ、彼は「愛」とは言わずに「愛情」と呼びます。愛というものがリアルなものでなく、脳内物質が引き起こす感情のひとつに過ぎないと思っているのではないでしょうか。
そのために、本当の愛の存在が明るみになることを恐れてしまうとか。。。
2008年12月07日 06:34
それは何かをしたからとか、功績じゃなくてむこうからやってくるもの。無償のプレゼントのようなもの。
押し付けがましいとか全くなくて、さりげなく、まるで空気のように誰でも受け入れられる、やさしさで、
謙遜になると、感じるかも。
そう子供のような清らかで、謙遜な心になった時。
2008年12月09日 10:15
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