
別れは寂しく辛いけど、人生にはいつもそれがつきまとう。
その度に涙し、もう生きていけないような気がして。
でも、まだ、私はここに生きてる。
さよならのあとに、心が空っぽになった時に、
こんにちは、と泣きつかれた目でぼんやりと光の方に向かって挨拶してみる。
放心状態のときだからこそ、繊細な光に気がつく。
そして
去っていったと思ったもののうち、美しいものだけが、結晶のようにキラキラといつまでも残っていることに、気がつく。
追いかけて手に入れようとしたら、それは逃げていく。
すべてを手放した時に、すべてが自分の中で、優しくあたたかな光を放っていることに気がつくのだ。
愛が去っていくように思われるとき、去っていく悲しみの中から、美しい思い出のエッセンスをよみがえらせて、繰り返し繰り返し意識に定着させていこう。
良いものだけをよりすぐって。
愛は永遠だという。
愛は時空を超えているという。
それは、こうやって思い出を蘇らせ、新しい物語をいつだって作っていくことが出来るからだ。
人間に偉大さがあるとしたら、このようにして、どのような物語でもハッピーエンドに書き換える智慧を持っていることにある、と私は思う。
真奈美さん、こんばんは。
そうですね。母親がクモ膜下出血で亡くなった時、残された父親が痴呆症で訳のわからないことばかり言っているのだけど、どうも体調が悪そうだと病院に連れて行ったら肺がんになっていることがわかり、治療を始めたけど回復することもなく亡くなってしまった時、それぞれその時は心の中にぽっかり穴が開いたようでした。でも、そんな中、真奈美さんが言うようにふと気づいたのです。両親が生きているときには嫌なところと良いところがあったのに、亡くなった後には嫌なところはほとんど忘れてしまっていくことを。きっと二人は残った私達をを見守ってくれているって感じることを。
子供達も、何かにつけおじいちゃんはどうだった。おばあちゃんはどうだったと思い出すということを。
ほんとに人間って不思議な生き物ですね。
2008年09月28日 23:32
あすなろさん
大切な体験をシェアーしてくださってありがとうございました。
2008年09月29日 05:00
永遠に対する思いは受け入れやすいけど、死は人間の理解できることを超えているように思います。不自然な感じが付きまとう。感情的に受け入れがたいし、痛いです。
どんな人だったかいっぱい思い浮かべていっぱい泣いて泣いてすこしずつ回復して落ち着いていった。
その後、慰めとなったのはイエスが約束した楽園となった地上への義者と不義者の復活。また会える事を楽しみにできるし、自分の死も約束ゆえそれほど怖くはなくなった。
不完全な自分の欲求を満たすためにあくせくしないですむし、何より義(正しいこと)のために自分を用いることが出来るのは喜びだ。
愛して下さっているので、絶えることの無い完全な愛を知った。感謝。
2008年09月29日 22:29
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