尾崎真奈美の天使語同時通訳します

アメイジング・グレイス

昨日はイースターだった。
不真面目クリスチャンの私も久しぶりに教会に行ってみた。
この日は伝統的に、日の出とともにお祝いの式があって、みなで朝ごはんを一緒に食べるのだ。

イースターカラーのパステルでデコレーションされたダイニングで、米国アウトレットで購入してきたらしいイースターエッグほか懐かしい食べ物が一杯並んでいた。

そして伝統的に洗礼式も行われる。
洗礼を受ける人たちはその思いをみなの前でスピーチするのも慣わしだ。
今年は10人もの老若男女人が受洗を受けた。

ニコニコしていつも明るい人たちの、壮絶な人生ドラマを聞くことが多い。
表面的にお付き合いしているだけでは何もわからない。
何も言わないでもくもくと嬉しそうに奉仕して、他人にことばかり気にかけている人たち一人一人に、このような経験があったのだとは。
聞くまでは、自分みたいに大変な思いをしている人はそうはいないとか、誰にもこんな特別な大変さを理解してもらえないだろうと錯覚していた。
実際、私自身も苦労知らずですべて順調に来ているラッキーな人だと思われがちだけど。

プライベートなことはみな言わないんだ。

でも、どんなに幸福そうに見える人たちも、いやもしかしたら幸福そうに見える人こそ、そうでない体験を嫌というほど知っているのかもしれない。そうでない体験を聞くたびに、自分の経験が重なって心の痛みが伝わってくる。
淡々と語る男性も、ステージの上で泣き出してしまう中学生も、みんなそれぞれに死ぬような経験をしてきたのだった。

洗礼式では、たいていの宗派が全身水につかって象徴的に死を体験する。
古い自分に死ぬのだ。
迷い戸惑い、希望がないと絶望したりのろったりする自分に死んで、一切すべての罪を捨て去って蘇るのだ。光と愛を確信して歩んでいくという公的な宣言が洗礼式だ。
(キリスト教で言う罪とは、神の救いを信じない、つまり絶望することであって、いわゆる日常的につかう罪概念とは違う。)
もちろん洗礼を受けたからって急に強くなるとか守られるとか言うわけではない。
ただ、決心なのだ。
さまざまな出来事はこれからも起こる。
むしろもっと頻繁に起こるようになるかもしれない。
もっと敏感に痛みを感じるようになるかもしれない。

それでも希望を捨てないで光を見つめていくという決心の表明なのだ。
この静かな喜びは、ゴスペルのアメイジンググレイスに高らかに歌われている。

驚くべき恩寵!
なんと甘美なことか。
私のようなどうしようもないものにまで・・・
私はかつて、人生を失っていた。
目が見えなかったのだ。
そしていまや発見したのだ。
恩寵が、見えるようになったのだ!

Amazing Grace! How sweet the sound
That saved a wretch like me!
I once was lost, but now I'm found,
Was blind, but now I see.

'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved;
How precious did that grace appear,
The hour I first believed!

Through many dangers, toils and snares,
I have already come;
'Tis grace has brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

The Lord has promised good to me,
His word my hope secures;
He will my Shield and Portion be,
As long as life endures.

Yes, when this flesh and heart shall fail,
And mortal life shall cease;
I shall possess, within the veil,
A life of joy and peace.

The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forbear to shine;
But God, Who called me here below,
Will be forever mine.

When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.

喜びと平安の中を歩んでいくのだ。

コメント

投稿者: Michelle

まなみん先生、おひさしぶりです。
穏やかな聖なる日の
とても素敵なお話、有難うございます。

2009年04月13日 07:32

投稿者: No Name

自分の悲しみばかりに気がいってしまう自分への戒めになりました。アッシジのフランシスコの歌にもありますよね。
I seldom see you seldom hear you tune
Preoccupied with selfish misery.
恩寵に感謝・・神に栄光あれ

2009年04月13日 10:48

投稿者: lamp

先日ニサン14日イエスが行ないなさいと命じた記念式に出席しました。
ヨハネ3:16~19前半黙想して心に染み入っていたところだったので、その聖句書かせてくださいね。
16 「というのは,神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるようにされたからです。
17 神はご自分の子を世に遣わされましたが,それは,彼が世を裁くためではなく,世が彼を通して救われるためなのです。
18 彼に信仰を働かせる者は裁かれません。信仰を働かせない者はすでに裁かれています。その人は,神の独り子の名に信仰を働かせていないからです。
19 さて,裁きの根拠はこれです。すなわち,光が世に来ているのに,人々が光よりむしろ闇を愛したことです。

主の晩さんのうた
(コリント第一11:23~26)
天の父エホバよ 今宵いと清し
汝れの力しめされり ニサンのその日に
子羊はほふられ 民自由得たり
後の日に主は血を注ぎ この予言はたせり

我ら汝れの羊 御前に集いて
御子の送りし愛讃え 清きみ名ほめん
机に整いしパンとぶどう酒は 命を得るため
我等の摂るべき糧示す

このパンはイエスの御体表し 
人を贖うその知恵をぶどう酒は示す
我ら心固め この記念をなし 
日々キリストの道歩み 永久の命を得ん


2009年04月14日 14:09

投稿者: 主婦

純金はものすごい炎の中を通って不純物を落としていくんですよね!見えないけど確実に存在する光を固く信じて炎をたんたんと通りぬけて行く人たちの心はこの世のどんなものでも壊されることなく脅かされることもないのでしょうね~。

2009年04月15日 08:53

コメントを投稿








プロフィール

尾崎真奈美尾崎真奈美

東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。ペンシルバニア大学医学部精神科、東京大学医学部公衆衛生学研究室などを経て、現在相模女子大学人間心理学科准教授、米国サーチインスティチュート、スピリチュアリティ発達センター客員研究員。
インテグラル心理学・スピリチュアリティ論・芸術療法などを教えながら研究、ダンス、執筆活動を続け、科学と芸術の統合を試みる。
天使語同時通訳は日々のインスピレーションの書き散らしである。
国際生命情報科学会、日本トランスパーソナル学会理事。日本心身医学会、日本トランスパーソナル心理学・精神医学会、国際ポジティブ心理学会会員。

最新のエントリー

全てのエントリー

カテゴリー

月別アーカイブ

携帯でもSQ Lifeメッセンジャー・ブログが閲覧できます。
http://blog.sq-life.jp/m/
メッセンジャー・ブログ QRコード