
園芸や畑つくりなどをしていると、これからの季節は元気よく育ってくるいろいろな草取りが大変になってくる。
どれが雑草でどれが植えた苗か知らないで間違って抜いてしまうこともある。
でも、どれもかわいい草花。
誰が雑草とかそうではないとか決めたんだろう?
日本の自然は、優しく、そのまま、あるがままが基本のようだ。
枯れるのも枯れるにまかせてそれを愛でるみたいな風流な精神がある。
山つつじが枯れていた。
水遣りが足りないのかな・・・誰がやっているんだろう・・・
と思わず考えてしまったんだけど、野山の水遣り。
すばらしい自然界が、山や空や川が養っているんですね。
きれいに刈り込んで計算して美しく配置された花で一杯のお庭も素敵だけど、
雑草の生い茂るままって言うのも、なんだかとても見事に自然の美しさを語っている。
新緑の山の美しさといったら、色とりどりの紅葉の季節にも勝るとも劣らない。
山と水と精霊の豊かな日本には、雑草なんてないはず。
みんな優しく共存してるだけだから、抜かないでね・・・
フラワーショップで
ほとんど枯れかけた観葉植物に
【私を育ててください】と
カードがつけられて売られていました
子供が 【お腹がすいたよ】と
いっているような
切ない気持にかられ購入。
あくる日 ピンっっと張った葉が
驚くほど 眩しくよみがえっていました
よかった。。。
なんでこんなに
穏やかな気持ちになれたんでしょうか?
・・わたし
ひとごみ っていう 言葉が かなしいです
大勢の人の流れの中に
かけがえのない ひとりひとり
大切な あの人がいるかもしれない
そのひと時のあつまりを
ごみって言えるわけがなく・・。
自分の意識がかわれば
何か大事なものが
くっきり 姿をあらわしてくれます
驚くほど そばにあるものだとか・・。
雑草とは こころが
少しお昼寝をほしがっているときに見える
自分の声かな
2009年05月23日 14:50
自分には限界がありますが、大自然を造られた神の心はほんとに大きいです。
神の愛の思いは人の思いをはるかに超えています。
雑草のような私たち一人一人に命という貴重な宝をプレゼントしてくださり、今は命の限界があるにしてもいろんな存在の仕方を模索する事をよしとしてくださっています。
神からみれば私たちが動揺していることなんて小さいです。それでも取り巻く状況や人の限界を自分以上にご存知で憐れみを持って扱ってくださいます。耐えられる限界以上に試練を長引かせたりはされません。(そう思えない場合でも復活の備えをしてくださっています。)
故に他の人が自分をいじめようと自分が自分をいじめようと、いじけてなんかいられないのです。
何度でも立ち上がるのです。
だってそのまっすぐで清らかな目でこちらを見ておられるのです。言い訳なんかしていられないのです。
例え雑草であろうと。
その愛の深さを知ったなら。
2009年05月23日 21:36
ひとごみは「ひと込み」であって、
ゴミやクズという意味ではないから悲しまなくて大丈夫ですよ。
人がたくさんいて込み合っているというだけです。
2009年05月23日 21:39
優しさに満ちたコメントありがとう、嬉しくなってます。
2009年05月30日 08:07
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