
幸福を求めれば求めるほど不幸になっていくと言うのは,巧妙な悪魔の罠なのだろうか。
求めるな、ただ,リアルになることだけを求めよと言われる。
しかしリアルになってすべてをクリアに見通すことで人は幸せになれると言うのだろうか。
求めよさらば与えられんと言うのは、この世的なことにしか当てはまらないのではないだろうか。
幸福は求めてもえられない。
喜びも求めてもえられない。
愛も求めてもえられない。
何を求めても,何もえられなどしないのだ。
ととことんネガティブになったときにふと気がつかされた。
自分自身が光そのものであり、既にその光に包まれている人はその光を認識することができないのだ。
光そのものであるあなたへ!
ただただ,笑って感謝していればいいだけ。
ああそうすれば、他の人にも光がわかるようになるのよ。
そんなにうれしいことって、ほかにある?
こんにちは☆
サガジョの尾崎先生の授業をとっている者です(^-^)
実は今日、友達から相談を受けました。
ただ話を聞いているだけで何の解決も出来ず、家に帰ってから落ち込んだのですが、尾崎先生が授業でおっしゃっていた
「話を聞くことが大切で、解決策を与えることだけが全てじゃない」(間違っていたらすみません)
という言葉を思い出しました。
おかげで少し気持ちが軽くなりました♪♪
ありがとうございました!
今回のブログの内容と関係無くて申し訳ありませんm(_ _)m
2009年10月14日 01:39
菜穂様
あなたのその気持ちでお友達はどんなに力づけられたかと思います。
解決なんて実際本人にしかできないし、本人だってできないことも多いんだけど。
できることを精一杯したら、できないことはできる人ができるときにやるからもういいのです。シェアーしてくださってありがとう。
2009年10月14日 06:51
こんばんは。
>自分自身が光そのものであり、既にその光に包まれている人はそ>の光を認識することができない
自分自身が光そのものであると認識できないのは、次元の異なるネガティブなこの世に輪廻を繰り返して、ネガティブ性を増幅させてきたからなのではないかと思います。
神意識方向である、ポジティブ意識というものを過去世においても経験したことがないので、自分自身が光に・・・つまり霊的法則に従った霊的真理の道を歩むことを選んでこなかった結果なのではないかと思うのです。
人の心や思考を超えた、霊的意識(超意識)が光であるとすれば、それを隠して覆っているのは、ネガティブ性に他なりません。
そのネガティブの正体を見破り、パターン化された固定観念に気づいていくことで、潜在意識が新しいポジティブな意識で上書きされていく、それが解放や本当の自由自在感につながるのではないかと思います。
ポジティブ意識を向上させていくこと。
これがとても重要で、ネガティブに左右されない、この世の何物にも依存意識のない、真の強靭な意識が育っていくのだと思います。
その過程で味わい経験する、喜び、解放感、シンクロニシティ的なポジティブな出来事が自分自身の動かぬ証拠となり、信じるに値する根拠となっ潜在意識に蓄積されていくのだと思います。
ただ、笑って感謝していることも、ある段階でにおいては必要なことだと思います。
ですが、別の見方では、不明確なその場しのぎにすぎないのかもしれないですね。
知識だけで真の意識の向上は難しいですね。
分かったつもり、知っているつもりの枠をぶっ壊して、
この世の日常の自分自身を教材として、実践で探究していくことでしか、意識での幸せや喜びは感じられないのだと思います。
待っていれば、耐えていれば、天から自動的に幸せや喜びが降ってくるなんて・・・ないのだと思います。
だって、ネガティブ性をたっぷり含んでいては重くて、重くて、仕方ない状態なのですから、そういった自分の潜在意識が何を創造するのか推測してみれば、今の自分の現状が理解できるのではないかと思います。
なんだか長文になってしまってごめんなさい。
状況も察することができないのにこのような内容で、的外れだったり、気に障られたらお許し下さい。
ですが、いろいろ考えて今回はこのように投稿させていただきました。
いつも学びになる記事のご提供をありがとうございます。
2009年10月15日 02:18
いろいろなタイプの方がいらっしゃると思います。
自分の経験からしか確かなことは言えないから、そして私は他の人とずいぶん違っているみたいなので???のところもあるともいます。
ただ・・
赤ちゃんを見てください。
何も努力しないで笑ったり泣いたりしてます。
耐えて待つのではなく、ただ、そのまま、在る、それだけ。
耐えるとか、意識向上の努力とか、そういう自我の固さはいらないと思うんです。
ただ、ふっと、そこにいるだけでそのままで既に光りに包まれていることだけですから。
必要なのは、光の方を振り向くことだけ。
そして楽しんで感謝するだけ。
それは自然にうちからわき上がってくるものだから。
意識的に感謝とか笑いとかじゃないんです。
もし自然にならないときはどうするか?
ならないなって、それを見つめておもしろがってたらいいんじゃないですか?
へ〜かわいいじぶんがいるなあって、かわいがってあげたらいいだけ。
2009年10月18日 12:42
真奈美さん、コメントをありがとうございます。よかったら教えて下さい。
・光って何ですか?
・光の方を向くというその方角はどこですか?どうやっら見つかりますか?
・自然にしていても感謝できない人はどうしたらいいのですか?
意識向上は、自力と他力の融合だと思います。
ずっとよく分からないことを質問させていただきました。
ご迷惑でしたらスルーしてくださいね。
光にもレベルがあるのかなぁ?
2009年10月18日 14:54
すいません、もうひとつありました!
真奈美さんがお仕事をされるのに必要な学びや努力をなさってこられたと思いますが、どうして意識の向上をするのに努力は必要ないのでしょうか?
それは自我だからダメってなったら、人はどうやって意識成長するのでしょうか?
ありのままを認めることで終わってしまうような印象を受けます。
よくわかんないなぁ~。。。
2009年10月18日 15:04
いろんなタイプの人がいると思います。
私はたぶんたまたま、意識的努力はしたことがないタイプなんです、きっと。
お仕事をするのに必要な学びや努力・・・
意識的にしたことがないと言うのが正直なところです。
面白そうなことを好奇心でへ〜って眺めただけでただ、流されてきたらここにいたなってだけ。
人生の目的とかも考えたことも意識したこともないですね・・・
そのときにやりたいこと、気持ちいいことをやってるだけなんです。
だから思うんですよ。
何でみんなそんなに必死になってるの?
たら〜って好きなことたのしいことをしてたらいいじゃな〜い?
なにをそんなにがんばちゃってるの?って。
こういうのは少数派だってことは、みんなの反応を見てたら何となくわかりますけど。
元々自分にしかなれないんだから、自分が自分らしく生きられたら最高ですよね!
他の人みたいになろうとしたらつらいしうまく行かないし、歪んで性格も曲がっちゃったり、病気になったりするんじゃないでしょうか。
自分自身になるってすごく単純な一番楽なことなのに、どうしてみんな違う道を行こうとするのでしょうか?不思議。
理論的には自力と他力の統合と言われてますね。
統計的に言えばたぶん自力優位の人の方が多いのではないでしょうか?
光って何かと言われたら困ります。
当たり前すぎて考えたこともなかった・・・
光とは何か。
空気って何ですか?どうやって生きてるのですか?
と言う質問に対することと同じで、メカニズムは説明できるかもしれないけど、そのものについてお示しすることは言葉では非常に難しいんです。
宗教学者や哲学者なんかうまく説明してるかもしれないし、神秘思想でもたぶん、様々な記述があるでしょう。
ホイットマンの詩なんかどうでしょうか?
光の方向?どこにあるか?
真実で美しくて感動するもの。善良なもの。勇気があって真剣で素直でリラックスして楽しく明るく澄み切っているもの。よどみがなく滑らかで滞らないもの。こういう感じでしょうか。どこにでもあります。自分のなかに。他の人の中に。自然の中に。目をつぶっても目を開けても光に満ちていることに気がつくにはどうするか?
感謝することを見つけていくことかなあって、最近の研究結果を見てて思います。
ありのままを受け入れたとき、自分ではない何かが働き始めて意識が変容していくのかなと思います。意識が変容したときには自分がやっているという感覚ではなくなるから、努力なんてしたことないって正直な感想になるのです。
自分ではない何かがって、解離とか憑き物とか変なイメージがあるかもしれないけど、光そのものとの一体感は圧倒的な至福だし、最高に元気で能力も開花する状態だと思います。
そうじゃないのははっきり言って危ない。
自分から修行したりする人が時々、そういうのに引っかかるみたいで、すごく心配しますし警戒します。そこに私は自我のとらわれがあるからじゃないかって思ったりするんです。明け渡したらいいのにって。つまり自分自身に死ぬことです。
これは経験的な事実なので、客観的に記述したいと考えてます。
2009年10月20日 08:37
真奈美さま。
私のつたない質問へのコメントをありがとうございます。
読ませていただいて、自分がやはり自我主導で物事をみつめてきたということがよく認識できました。
感謝とか光とかいう言葉は、私のあまり好きではない言葉のひとつでした。母親との記憶が影響していることも今回わかりました。
いまはあたかかな、私の知らない何かを感じています。
とてもいい感じです。
努力ということも、がんばるということも、自我でやり続けている限りそこら先には進めないんですね。
相当無理していたんだと思います。(背伸びかな^^;)
感謝って、この言葉を使うことが感謝なんじゃなくて、その人のあたたかな心がこちら側に流れてきて、そのあたたかさをこちら側が感じるから・・・なんですね。
私は生きてるのが恐かったから、霊的な知識を身につけて、人から自分を守ろうとしていたのかもしれません・・・
これもまた学びです。
自力と他力の統合、本当にそうですね。
今回はたくさん投稿してしまって恐縮です。
真奈美さん、コメントをありがとうございました!
2009年10月20日 16:36
求めても、求めても得られない、、、
先日、私の書いた詩の一編と似ていました。
愛しても愛しても変わらない愛の形、、、
って、求めているのでしょうね。
そこに生きている事で十分のはずなのに。
なぜか、なにか足りない気持がする。
そんな時こそ足るを知る のでしょうか。
2009年12月15日 10:13
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