尾崎真奈美の天使語同時通訳します

天使のお仕事 カテゴリーの一覧

残酷な天使のテーゼ

天使のイメージは、一般的には穏やかで優しい。
イラストに描かれる天使はたいてい金色の巻き毛だったり、光り輝いて美しい。

妖怪みたいですねと言われてうれしいと思う人はあまりいないかもしれないけど、天使みたいだと言われたらうれしいに決まってる。

同じようにあの世とこの世をつないでいる中間存在なんだろうけれど、天使は完全にポジティブだ。ネガティブなものはルシファーと言う堕天使が担当している。しかし、ルシファーもすばらしく美しいのだ。

スピリチュアリティ研究を始めた頃からずっと私は天使系ですねと至るところで言われ続けてきた。どういうことを意味するのか知らないまま、イメージ的に悪くないなって思ってきた。

軽やかで純粋でまっすぐで幼子のように単純でキラキラ光りに満ちてる、そういう感じなのだろうか。
確かにコンテンポラリーダンスでもいわゆる暗黒舞踏みたいなのはピンとこないし、悲しみや苦悩を描く身体表現もあまり好きではない。
別に無理して天使ぶっている訳ではない。
人間としての苦悩はもちろんあるんだけど、それを表現しようとしても必ず昇華されていってしまうのだ。
圧倒的な勝利に満ちた輝きしかでてこないのだ。
それが直接体験なのだからそれしか表現できないのだ。

暗闇に共感しないのだ。
地上の苦しみをどこか遠くから覚めた目線で眺めているのだ。
すべてを知っているにもかかわらず一緒になってドロドロしたりしないのだ。
役割りの違いなのだろうと思う。

これはある意味でものすごく厳しく冷たく残酷だ。
そこにいるだけで何もしないからだ。
手を差し伸べたりしないんだ。
ただ光を輝かせてそばにいるだけなんだ。

アニメは見たことがないからタイトルの歌の意味は知らない。
だけど、天使は人間から見たらきっと残酷に見える場合が結構多いのではないかと思っている。

手を差し伸べてパンを与えてくれるのは人間の優しさだ。
その優しさは愚かさでもある。
パンがなければ生きていけない地上の法則には従っているけど、有限性の中に限定されているからだ。

天使の残酷さは、有限な世界に無限な世界の価値を突きつけるところにある。
圧倒されてしまうのは、人間である限り、ここで息をしているかぎり仕方がないことだ。
天使の法則は無限の世界での絶対だ。
これで地上のすべてを推し量ろうとしたらほころびがでる。
重力に逆らって飛ぶことはできないからだ。

しかし、光の世界をかいま見ることは救いになるはずだ。
そしてちかづいて行くことも成長の喜びに満たされることだ。

天使は天使の仕事をする。
人間の思惑などいっさい関係なく。

天使力

最近いろいろなところで感じるこの働きを、天使力と呼ぶのがぴったりだと思いました。
愛って言うと人間的な思いが混じるからやめました。

それは、悲しみの涙をクリスタルの輝きにかえていく働きです。
静かで深くて透明なものです。
しんと音はないみたいだけど、普通の人の耳に聞こえない非常に微細な振動があるような気がします。
深いと言うのは、表面的な働きとしては見えないからと言う意味です。
透明と言うのはストレートで明らかでクリアで単純だからです。
重力に左右されないから軽やかです。
つまり重さをもちません。
暖かくも冷たくもなく、温度もありません。

これは根源的な存在の法則だと思うのですが、物理で説明できる範囲を超えているので、どうやって説明できるか探索しています。

よい子神話

よい子が危ないという。
反抗するくらいの覇気があったほうがいいとか。

確かに自我の成熟がなくただただ外側の権威に従順であるというのは危うい。
しかし、見かけ上のよい子(模範的優等生)が悪いとか、反抗期がなかったから問題だとか、そういうことでは決してないはずだ。

心理学の理論は多数決に基づいてるから、多くの人に当てはまるというだけである。
正常の発達モデルを示しているのではない。
理想的環境で育てられてすくすくしたしっかりしたよい子を見る機会が少ないから信じる気にはなれないだろう。
だが、人間はもともと、条件さえ整っていたら激しい反抗などなくともスムーズに健やかに成長していくものだ。少ないけれど、そのような例は確かにあるのだ。

ゆがめてしまうのは、どちらかというと、平凡な大多数をモデルにして作り上げた心理学理論にしばられている親や教師のほうだ。
個人の成長を真摯に観察していたら、不完全で不健康な自分を越えた健やかな発達の可能性が見えてくる。
先入観とか思い込みが健康な人を不健康にしてしまっている。
どこかに、すばらしいものに対するやっかみがあって、引きずり下ろしたくなってしまうのかもしれない。
健康な彼らはたいていそのようなものにはびくともしないんだけれど、やはり長年の間には傷ついてくることもある。
環境を変えてやればびっくりするほど健やかになるのだ。

そのためには大人の側の偏見をのぞく必要がある。
これは長年のうちに身についたものだから意識的に努力しないと無理なようだ。
身についてしまったものを覆すのは、新しく教えることより何倍も難しい。

クリスタル・チルドレンを見ながらつくづくそう思う。
私の使命はたぶん、これを実証していくことなんだろうと思いつつ。

言葉以前の、感情以前のなにか

天使語同時通訳の難しさは、言葉を翻訳するのではなく、言葉以前のものを言葉に置き換えてみる作業だというところにある。

それは概念とか認識とか感情とか、そういういわゆる言葉であらわされるものを越えているから、言葉で説明するのが非常に難しいのだ。
言葉にしてしまったとたん、限定がかかる。
使う人のイメージで歪曲されてしまう。
だから、通訳者は常に、日本語でも英語でも、その言葉がその集団でどういう意味で使われているのかを探らなければならない。

これだけ果てしなく広がり豊かなものを、安心・信頼・さわやかさ・喜びという日常語で表すと、結局はその言葉を使う人が普段使っている文脈での理解にとどまるのがオチだ。

こういうことがわかってくると、通訳なんてしないほうがいいのではないかという気がしてくる。
一方では、たとえ間違っているにしても多少は伝えられるのだから、オールおあナッシングではなくて、80パーセントでよしとしようではないかという声も聞こえる。

そうなのだ。
どんなに超人的にがんばったとしても伝えきることはできないのだ。
たとえかなりうまく伝え切れたとしても、今度は受信側の問題がある。
感受性がなければどれだけ有益な情報でもキャッチできないのだから。

そう考えると、伝えきれないものを伝えようとする私の試みも、それなりに意義のあることかもしれないと思えてくる。

「耳あるものは聞くがよい」
というイエスの言葉も、なるほどなあ、彼も苦労したんだなあと思わされる。

プロフィール

尾崎真奈美尾崎真奈美

東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。ペンシルバニア大学医学部精神科、東京大学医学部公衆衛生学研究室などを経て、現在相模女子大学人間心理学科准教授、米国サーチインスティチュート、スピリチュアリティ発達センター客員研究員。
インテグラル心理学・スピリチュアリティ論・芸術療法などを教えながら研究、ダンス、執筆活動を続け、科学と芸術の統合を試みる。
天使語同時通訳は日々のインスピレーションの書き散らしである。
日本トランスパーソナル学会理事。日本心身医学会、日本トランスパーソナル心理学・精神医学会、国際生命情報科学会、国際ポジティブ心理学会会員。

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