
私の父が、7月11日の早朝に、旅先の気仙沼にて急逝してしまいました。
余りに突然の事で、未だ胸の中がなんとも言い表せない気持ちで一杯ですが、無事喪主として葬儀を終えることが出来ました。でも、私はアメリカから帰ってきて7年間同居していたので、急にぽっかりと穴があいたような気持ちです。

父は寛大な人でした。
6月7日のハワイ島での結婚式を立派な形でさせて下さり、妹夫婦家族全員を、ハワイ島に旅行に連れて行って、楽しい家族旅行をしたのが一ヶ月前。その後も毎週のように、旅行に出かけていました。7月7日の朝、福島の親戚の法事に一人で車で出かけ、更に10日に、自分の兄妹を全員、宮城県気仙沼の大島に連れて行って、楽しい旅行をしていた夜中に、急に心臓が停止してしまいました。いつも福島に帰っては野菜を沢山採って、それをご近所やお世話になった方々に配っていた人なので、無くなる前日も、プラムを大量に採取し送っていました。

父が東北に出かける前日に、私が居間でダンスのビデオを見ていた時に、何気なく起きていらした時に父の顔を見たのが最後です。その時、疲れていらしたかもしれません。でも、何時もの通りに「おやすみ」以外何にも言わなかったのが本当に悔やまれます。又、私自身の調子が悪いと思っていましたが、1週間位前から父が亡くなる瞬間のまで、胸の痞えが取れなかったのも、もしかすると、私自身ではなく父の状態だったのかもしれません。私達舞踊家のように、身体で感じるトレーニングをしている人は、そのような事があったら、周りの人に注意をしてあげてください。
父は努力家でした。
父、佐藤年允は、福島県霊山町に1938年1月18日に、美しい自然と水の豊かな山々に囲まれた農家の三男として生まれました。地元の保原高校商業科を卒業後、昭和1956年に一人で上京し、江口証券で働きながら、中央大学経済学科を自力で卒業した努力家です。その後も、兜町で証券外務員として活躍し、金万証券(現日本アジア証券)に定年まで長く勤め上げました。1987年に妻トミエを病気で亡くした後、男手一つで、私達三人姉妹を育て上げてくれました。
感謝しても仕切れません。
もっと何かしてあげたかったという思いで一杯です。
父は一人で何でも出来てしまう人でした。
証券外務員として、会社に属しつつも独立してお客様に仕え、立派に務めを果たしました。
又お料理も大変上手で私など及ばず、いつも自分で作って下さっていました。
父の作る味ご飯は忘れられません。
父は、真の先生でした。
父はよく私達に、「人を頼らず、自分でやれ」と言いました。
この言葉は時に厳しく感じましたが、「自らの力を信じよ」という真の教えを私達に下さいました。私が、ニューヨーク大学の大学院の舞踊学科を一人で終える事が出来たのも、「私の父が東京で一人で働きながら大学を終える事が出来たのだから、私にも出来るはず。」と自らを信じる力を父から頂いたからです。
父の御戒名も、「真教院釋晃成居士」となりました。
私達は尊敬し目標とする父を失ってしまいました。
しかし、父の教え「自らの力を信じること。周囲の人々を大切にすること。」を守ってこれからも生きていきたいと思います。
独立独歩の精神と、計り知れぬ寛大さ、豊かさを持った、霊山の大自然のような父。
父の生涯を語る詩を捧げたいと思います。

「道程」 高村光太郎
僕の前に 道はない
僕の後ろに 道は出来る
ああ 自然よ 父よ
僕を一人立ちさせた
広大な父よ
僕から目を離さないで
守る事をせよ
常に 父の気魄を僕に充たせよ
この遠い 道程のため
この遠い 道程のため

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8月12日に予定していた「こどものためのアートとサイエンス:イサドラ・ダンカン・ダンス」は、主催者父、佐藤年允の急逝により延期に致します。
新しい日にちが決まり次第ご連絡致します。
ご予定頂いておりました、皆様には誠に申し訳ありません。

2007年6月7日にハワイ島結婚式をして丁度一ヶ月目の時間帯に書いています。
なんとも早いものです。
無事行うことができ、本当に良かった!
儀式と言うのは、時空を超えて私達の心に何か特別な変容を起こしてくれるものだなと実感しました。人が集まってくれて、踊りを共有する時には何か特別な時空間が出来る、そう思ってダンス公演をしていますが、結婚式も同じなんだなあと分かりました。
(公演と同じように、花嫁は声を張り上げ、マイクを運び、式を廻すために奔走してしまいましたが・・・)
日本、NY、DC、カリフォルニアと様々な場所に住んでいる私達の家族、友人、恩師など大切な人々90名が、ハワイ島マウナラニ・リゾートに駆けつけてくれました。
マウナラニはハワイ語で、「天国に続く山」という意味。
パルナッソス山、つくば山、神岡、霊山等聖なる山は、私達二人を育み結びつけてくれました。
ギリシャのパルナッソス山の麓で2005年6月7日の出会いから丁度2年目です。
お互いの仕事、舞踊と物理学の基礎、自然の力に対して結婚の誓いをたてました。
結婚式のテーマは、「二つの世界の融合」。両親に敬意を払うため5000年の伝統がある文化で日本とユダヤの伝統に則って結婚式を行いました。
日本の式は、私の叔父と叔母の渡辺氏に司祭役、NYで私の作品を踊ってくれたダンサー渡辺紀子さんに三々九度の巫女役をお願いし、ギリシャでコラボレーションをした天野サチ先輩に、笛と「高砂」とを演奏して頂くという、とても本格的なものになりました。笛の音に導かれ、「高砂」の謡いと共に、古の人々から連綿と続く命の連なりを感じました。
ユダヤ教のフッパというテントの中に、日本の祭壇を奉り、赤い夕日に向かって誓いの言葉を述べ玉串拝礼を行いました。

日本の式が終わった瞬間に、グルームズメン(新郎親友)が白い幕を参列者の前に張って、ブライズメイドのグリンダと、嘉代ちゃん達が手伝って、幕の裏で着物を脱いで衣装早替えをしました。この1分ほどの間に、ハワイの文化でのAmakua Animal(守護動物)である、大きなMoiという魚が跳ねて、フッパの方向に近づいてきたとの事。Moiもお祝いしてくれました!
ユダヤ教の式は、現地のラバイ(ユダヤの司祭)ブラム氏が司り、男性の参列者は全員ヤマカという帽子をかぶりました。友人のシンガー・竹中あこさんが通訳をしてくれました。日本の式と似ている点は、イザナギ・イザナミの神話のように三度廻る儀式があり、ワインを同じグラスで飲む儀式があるということ。違うのは、その後にグラスを踏んで壊す点です。一番の幸せの時にも、世界は無常である事を思い出す、又は、過去を振り返らず新しいステップを踏むという意味があるのだそうです。
そして、Mazel tov「星座が二人の未来を祝福するように」と叫んで、皆で万歳をします。私はこの言葉が好きです。ギリシャで星を見て出会った私達。人間と万物、そして宇宙のつながりを思い起こさせてくれます。

フラワーガールの姪が創るお花の道を渡って、無事に結婚式は終了しました。友人の小北聖子さんが日本の伝統の振る舞い酒を配り、ハワイのギターを聴きながら夕日の中で参列者と撮影を行いました。家族そして、多彩な友人のお陰で支えられた結婚式となり、本当に幸せです。

甥が運んでくれたユダヤ式の指輪の交換では、最初に人差し指に相手にはめて、その後、「自分で結婚を選択する。」という意味で、お互い自らが薬指に入れ直しました。「モーゼとイスラエルの民の慣わしに従いこの指輪を持って貴方は私へと捧げられます。」という誓いの言葉は、ユダヤ、日本、ハワイ、英語の4ヶ国語で行い、4つの神様に結婚の意志を誓いました。この言葉を日本語で言っている時に、涙が止まりませんでした。私の中で何かが変わった瞬間でした。
これから、世界の神様に見守られて、私達の結婚の誓いと、二つの世界の融合を実現していきたいと思います。

芸術家と科学者とで踊った披露宴の事は次回に書きたいと思います。
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