
三島の映画館で3Dのアバターを観てきました。臨場感がありました。とくに画面の前面に背を向けて立っている人」やこちらに向かって飛んでくるものに立体感がありました。ストーリーそのものはきわめてオーソドックスです。まだ観ていない人に悪いので詳しく書きませんが、白人とアメリカ・インディアンの戦いのようなものです。時代は遠い未来のことですが、宇宙のかなたまで自由自在にいけるほど進歩した文明をもった人類が、依然として私利私欲に駆られ、現地の貴重な資源を収奪しようとしている設定が、あまりにも型にはまりすぎていると感じました。人間ももう少し精神的に成長するのではないかと思うのですが、どうなんでしょう?
翻訳塾が順調に滑り出した。人に翻訳の技術を教えるのははじめてのことなので、いろいろ考えさせられることも多いが、添削指導することで、わたしにとって勉強になることもたくさんある。これまで何気なくやっていたことを、いちいち言葉で説明しなければならないからである。
添削していてもっとも面白いのは、翻訳する人の心のあり方が文章に如実に反映されることだ。たとえば、大胆で行動派の人は、あまり文法を気にせず、「やっちゃえ」という感じで訳すことが多い。それがツボにはまると、思いがけない名訳になるのだげ、
どちらかというとツボにはまらないことが多く、「おいおいまってよ」という気持ちになる。
機能的な英語と違って、日本語の表現はバリエーションに富んでいるので、適切な言葉の選択に苦労するのだ。わたしの翻訳の師である吉福伸逸さんは、翻訳とは瞑想であると言ったが、まさにその通りだと思う。心の中の雑念が文章ににじみ出てくるのだ。
隣の庭の梅が咲きました。伊豆は温暖なので、早咲きの桜も5部咲きになっています。それでも、昨日は雪がちらつき、天城の山々が冠雪しました。年が明けたと思ったらもう2月、まさに光陰矢のごとしです。今、以前に紹介した『いましめを解かれた魂』の仕上げに入っています。3月刊行の予定です。
現在、『いましめを解かれた魂』という本を翻訳しています。アメリカでヨガの道場を開いている人物が書いたもので、自分というものをさまざまな角度から探求した本です。アメリカではかなり話題になっており、とくにカウンセラーやセラピストに読まれているようです。でも、日本語にするのは難しい、かなり手こずっています。
著者の主張の核心は脱同一化にあります。つまり、自分の自覚に昇るもの──思考、感情、感覚など──を次々にあげつらい、それらが意識の対象であって「自己」ではないということを証明していくのです。本当の自分とは最後に残ったアウェアネス、すなわち純粋意識だというわけです。
そのうちにこのブログで詳しく紹介していくつもりです。(菅)
昨年の年末、膀胱がんの手術をした立花隆のドキュメンタリーを見ました。現在、がん治療がどこまで進歩し、いつごろ人類はがんを征圧できるのか? ふたたびがんが再発したら、どのような生き方を選択すればいいか? という二つの疑問を胸に、世界のがん治療の最前線を取材する番組です。
がんは細胞分裂する際の情報伝達の不備によって生じるのですが、絶え間なく細胞分裂を繰り返して自己刷新する道を選んだ人類にとって、宿命的なものだと立花氏は語っています。この不備のメカニズムはまだ全然解明されておらず、解明されるまで少なくとも半世紀、ひょっとすれば一世紀以上かかるだろうというのが最前線の科学者たちの見解のようです。つまり、人類によるがんの征圧は半世紀以上先になるということです。
であるならば、今度、がんが再発したら、治りもしない治療を受けて生活の質を落とすようなことはせず、戦う(苦悩の原因は戦うことにある)のをやめて、死を受容し、死ぬ間際まで笑いを失わない生活をしたい、という結論に彼は達したようです。とくに彼は現在69歳で、もう十分に生きたという感覚があるようです。この先、がんと戦って悲壮な顔をして生きるより、死を受容して、笑いながら生きたいというのです。
彼のような選択をする人がこれから増えてくるのではないかと思います。
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