菅靖彦の男のスピリチュアル道

2007年01月

フローに生きる

 現代社会では、漠然とした不満やむなしさを感じながら生きている人が多いように思います。これほど物があふれ、さまざまなエンターテインメントがあるのに、現代人はどうして不満やむなしさに襲われるのでしょう?一つには、物がありすぎるため、あれもほしい、これもほしいという欲望がとめどなく膨らみ、満たされることがなくなったと言えるかもしれません。欲望というのは基本的に限りがないものだからです。

 シカゴに生涯学習研究所を設立し、この二十年、斬新な自己成長プログラムを多くの人々に提供してきたライフ・コンサルタントのジュディス・ライトは、昨年、『There must be more than this』(人生こんなものじゃないはずだ)という興味深い本を著し、その本の中で、「ソフト・アディクション」が多くの人から充実感を奪い、人生をむなしくさせている元凶になっていると述べています。「ソフト・アディクション」とは、「軽度の嗜癖」という意味です。彼女が「ソフト・アディクション」というコンセプトを思いついたのは、自分のセミナーに参加する人々の多くが、何気なくテレビを見る、あてもなくショッピングをする、人の噂話に興じる、何時間もネット・サーフィンをするといった習慣をもっていることを見出したのがきっかけでした。そのような習慣はドラッグやアルコールへの依存のように強烈ではないため、一見、無害に見えるのですが、その実、人々のエネルギーを消耗させ、充実した有意義な人生を送るのを妨げる大きな障害になっていることを発見したのです。

 嗜癖の特徴は決して満足をもたらさないことにあります。それどころか、むなしさの感覚を生み出し、さらなる依存に駆り立てるという性格をもっています。多くの現代人が「足ることを知る」のを忘れているとすれば、それはあまりに多くの物やエンターテインメントに取り囲まれているため、能動的に生きる姿勢を手放してしまい、なんらかの嗜癖のサイクルにはまりこんでいるためではないかと思うのです。では、そうしたサイクルから抜け出すにはどうしたらいいのでしょう?

 結論から先に言ってしまえば、受動的な気晴らしでつぶす時間を減らし、自分のやりたいことを見つけて、それに注意を集中する時間を増やすことが必要です。というのも、散漫な意識の状態でいると、どうしても不安や悔恨の情が意識に混入してきて、気晴らしがほしくなってしまうからです。

 シカゴ大学に籍を置く心理学者、チクセントミハイは芸術家、スポーツ選手、音楽家、チェスの名人など、自分の好きな活動に従事している「達人」たちに面接調査を行い、彼らの説明から最適経験(オプチマル・エクスペアリエンス)を生み出すフローという考えに行き着きました。フローとは、一口で言えば、何もかも忘れてある活動に没入し、その体験自体の楽しさゆえに、何時間でも労力を惜しまない状態を指します。たとえば、寝食を忘れて制作に打ち込む画家の姿、それがまさにフローしている状態です。人はフローしているとき、わずらわしい自意識から解放され、宇宙との一体感を覚えることすらあると言われています。

 日々の生活の中で、フローしている状態が多くなれば、散漫な意識の状態でいることは少なくなります。詩を書く、庭の手入れをする、テニスをするなど、なんでもいいのですが、うまくやれるようになれば、やりがいがでてきて、熱中できるようになります。それがフローの性質です。ただし、フローを招き寄せるには、明確な目標をもつ、自分のした行動の結果に注目する、自分のスキルとやろうとしていることの難易度のバランスを調整する、そのときどきに手がけていることに集中するといったことが必要だとチクセントミハイは述べています。

 フローに生きることが多くなれば、当然、充実感が増し、むなしさや漠然とした不満に襲われることが少なくなります。人間の飽くことなき欲求というものは、もともとあるものではなく、なんらかの精神的な飢餓感によって生み出されるものなので、充実した時間が増えれば、おのずと鎮まっていくでしょう。「足ることを知る」の真の意味がわかるのはそのときかもしれません。

男にとって仕事が大切なワケ

 先日、ある大学の新聞部の学生にインタビューをうけました。なんでも、「就職は是が否か」といったニュアンスの企画を立てたらしく、話を聴きたいと言ってきたのです。わたしは大学を卒業してから一度もまともに勤めたことがないので、もちろん、就職をしなくたっていいんじゃないのと言いました。でも、納得がいかなそうな顔をしていました。こちらからいろいろ聞いてみると、就職しないとどうも誰かに悪いと思っているようなのです。わたしはもちろんニートやフリーターになることを若者に勧めるつもりはありません。ただ、会社に入れば、それで安心というような時代では、もはやないんじゃないかと思うんです。
 男にとってもちろん仕事は大切です。すぐに名刺を交換したがりますしね。肩書きがないと肩身の狭い思いをすると思い込んでいるふしがあります。その最大の理由は、仕事=自分の価値という等式を無意識に信じ込まされているからではないかと思います。そもそも資本主義の基本が、労働価値というものによって人間の価値を図ろうとするものだからだからです。そのようなシステムに乗れない人間はあぶれ者とみなされるわけです。この仕事=自分の価値という等式がわたしたちの心に重くのしかかって、さまざまな問題を生み出していると思うのです。勝ち組と負け組みなんていう嫌な二分法もそこからでてきていますよね。
 だけど、自分の価値は仕事ができるできないで決まるわけではありません。人は誰しもかけがえのない存在であり、生まれながらにして価値をもっている。そこから出発しなければ、現在、問題になっているいじめの問題なども解決できないんじゃないかと思います。そうした無条件に自分を認める気持ちをどうやって育むかが問題ですよね。

プロフィール

菅 靖彦菅 靖彦

1947年、岩手県花巻市生まれ。
国際基督教大学人文科学科卒業。
1980年代の初めより、トランスパーソナル心理学関係の著作の翻訳をはじめ、ケン・ウィルバーやスタニスラフ・グロフなどトランスパーソナル心理学を代表する心理学者の主要な著作の翻訳に参加。
自らも『変性意識の舞台』(青土社)を著し、人類の変容を唱える。
その一方で、グロフが開発したホロトロピック・セラピーの実践にあたり、下北沢のMACAギャラリーを拠点にした創造性のワークショップを展開。
日本トランスパーソナル学会副会長。
http://homepage2.nifty.com/sugaworld/

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