toniのおかえりなさい ~こころ・からだ・スピリットの放浪~

2008年03月

You are what you eat

おかえりなさい。

英語でyou are what you eatっていうと、
まあ簡単に言えば「あなたが食べたものが、あなたの体になる」ってわけです。

これって単純やけど、そのとおりやね。
で、自分の食べるものは自分で気をつけよう、っていう「教え」も含まれてるよね。

それ以外に、いろんな意味を考えることができると思います。

それは「食べた物」だけじゃなくて、「食べ方」、さらに「食べる時の心」にも及ぶんじゃないかな?

食べたものが消化吸収され、私達の体を作ってくれる。
そして吸収されないものは、排泄物となって体外に出て、いろいろな過程を経て自然界に戻っていきます。そして土に吸収され、死んだ虫とか動物とか人間の死骸なんやかんやと菌と混じって養分となり、草や野菜や果物になる。草を食べた牛や豚や馬や羊なんかが成長して、またもや人間の口に入る。

つまり私達人間もなんの例外もなく(かなり自然に逆らっては居るが)大きな循環の一部に過ぎない。

輸入に頼ってる日本なんて、それこそいろんな国の土で出来た野菜や果物を食べてます。その土には、何千年も前の先祖達も混ざってます。

よく人に聞かれるのが「レシピはどうやって考えるんですか?」

で、答えるのは「考えません。降ってくるんです」・・・だってそれしか言うことないねんもん。

ほんなら、私はエスパー料理人か?!みたいやけど、そんなんとちゃうちゃう(笑)

あちこちの国の歴史が詰まった土からできた食材でできた体。私だけの智慧じゃないものが組み込まれてるに違いないと思うんですよね。
そう考えたら、「ひらめき」って、めっちゃ壮大なロマンですやんicon:sparkling

隔世遺伝とか、親に似るとかいろいろ言いますやん?かえるのこはかえる、とか。血縁があると納得するけど、でもそれだけじゃない、何かあるやろ~って思うんですよ。

「受け継いだ何か」って、あると思うんです。

いや、あくまで私の妄想ですぜ。

icon:cherry好評受付中です!
食禅(じきぜん)~器から禅を学ぶ~
■開催日:
2008年4月12日(土)11時~14時半、4月13日(日)15時~19時

■会場:
4月12日:大阪市港区、4月13日:滋賀県大津市

くわしくはコチラへ
http://sq-life.jp/event/003151.shtml

おかえりなさい

おかえりなさい

読んでいる本に、生死をさまよう大事故に遭われて、右手右足が使えなくなった著者が、左手で日常生活を始めた様子が書かれていました。

私がアメリカでマウンテンバイクと大型トラックの衝突事故に遭ったのは、かれこれ9年前のことでした。
死なんかったんが不思議なほどのぶつかり方だったようです。当の私はぶつかる寸前から記憶が無くて、何を言われてもさっぱり覚えていないのですが。
ただ一つ覚えているのは、当時死ぬ事しか考えていなかったにも関わらず、その日の夕焼けの美しさに感動し、マウンテンバイクの後ろに子どもを乗せて気持ちよく歌なぞ歌っていた、ということだけでした。

「日本に帰って、あれしてこれして、強く生きていくんや!」そう思いながら急な坂道を降りていました。
でも内心は「・・・そんな風に生き直せたらエエけど。アタシには出来ないやろな」って思ってたんです。
坂道を降りながら。夕陽の温度を背中に感じながら。涙が出そうにきれいなオレンジ色の空を背に。

病院に運ばれて6時間意識不明。意識を取り戻してすぐに退院。同じ日の夜中でした。当時居候していた家に着いて鏡を見た瞬間、自分の顔に愕然としました。不思議な事に、かけていた眼鏡は傷ひとつなく、使えましたから、眼鏡をかけて自分の顔を見たわけです。何がどうなったか解らないけど、鼻の下に大きな傷がありました。ハンドルのブレーキが刺さったようです。首から肩、胸までが、真っ青というより、どす黒い紫色でした。皮膚は血だらけでした。一瞬、左の乳房がつぶれているのかと思ったほどでした。当時、3歳の息子に、まだ母乳を飲ませていたので、「あーあ、これでおっぱいでなくなるかなあ」とか考えてました。(フツーに出ましたけどね、ははは)

左の鎖骨を骨折したので、左腕は使い物になりません。指を動かしても激痛が走ります。それでも明日は病院に行かなあかんし、服も着替えなあかん。息子を風呂に入れなきゃいけないし、ご飯も作らなあかん。外国で母子2人だけやから、人に頼もうにもどうしようもないのでした。

幸い、利き手の右は自由に使えたので、子どもを抱きかかえてバスに乗せるとかはできました。大変だったのは料理とか、服の着替えでした。左腕を動かすと激痛だから、Tシャツの袖に腕を通すのが至難の業でした。でも人間って工夫するんですよね。腕を動かさずに頭や他の部分を動かせば、Tシャツに袖を通すのもできるようになった。片腕だけで生きるって、ほんまに大変なんやと知った。例えばかぼちゃを切りたい。普通なら片手で押さえて包丁をグっと入れたら、カタイかぼちゃも切れるんやけど、腕一本だけでは、押さえる方法が無い。うっかりして左手を使おうと無意識に動かそうものなら、叫びだすほどの痛みが走り、包丁を投げ出してしまう。

パソコンのキーボードを使うために、右手で左腕を曲げて、そっとキーボードの上に指が乗っかるように持っていく。肘から下が机の上に載れば、後は問題ない。指は動かすことができる。
あの時ほど、自分の左肩から左の指先までの感覚と、それが全身に及ぼす影響に対して、意識したことは無いと思います。

毎日少しずつ、できることが増えていくのは、新鮮な驚きでいっぱいでした。
事故にあって4日後、私は当時カレッジで習っていた太極拳の授業に出席しました。事故のことを知っていた担任の先生は、何も言わずに私を迎えてくれました。そして1時間の太極拳の授業を終えた後、私よりも10歳くらい年下のクラスメイトたちに「俺の師匠は中国人だ。彼は骨折しても太極拳やカンフーのトレーニングを休まんかった。この日本人もそうだ。こいつは 本物の大和なでしこだ!」と涙を流しながら言ってました。私は「いや、別に泣かんでもエエがな。こっちは高い授業料払ってるねんから休みたくないだけやし」と思ってたんですけどね。

この感動先生がくれた手作り漢方薬のおかげで、私の左上半身の紫色のアザは、事故後たった2週間で跡形もなく消え去ることになるんですが。

死にたい死にたいって言ってたはずの自分が、いざ死なずにリハビリ生活を始めた時、これまでにない新鮮な発見の毎日が始まりました。だから「死にたい」の気持ちを忘れてしまった。骨も治ってだいぶ経った後、また死にたいと思うことは多かったけど、なんかね、どっかでそんな自分を笑っちゃうんですよね。

「どうせ無理やろ、死なしてもらわれへんわ。」って思うんよね。
それやったら、なんとかして生きやな、しゃーないやん。死ぬまで生きやな死なしてもらわれへんねんから。

エエ本にめぐり合えて嬉しくて書いてしまいました。

ちなみにその本とは村瀬明道尼の「ほんまもんで いきなはれ」です。
機会があったら読んでみてくださいね~

あんしんして食べられますように

おかえりなさい

料理をするには、最低限必要な道具がありますね。包丁、まな板、鍋、箸、木べら・・・。

私は料理人といわれる身なのですが、こんなこと書いたら笑われると思いますけど、道具にはあまりこだわりが無いです。なぜかというと、3歳から食材と包丁に触れてきたので、その頃の「ままごと」感覚を持ったまま成長してしまったからです。その場にあるものを使って、あるものを最大限活かして、食べてくださる人が楽しめて美味しいものを、そしてちょっとビックリするような作品を創るのが好きです。

「包丁一本、さらしに巻いてぇ~」って歌がありましたけどね
包丁を、ケータリング先に持って行くのを忘れたりするんっすよ。いや、たまにですけどね(笑)。

包丁すら忘れる料理人。あなたは信用できますか?あははは。私だったらそんな料理人が来たら大笑いして仲良しになっちゃうかもしんないな。
「あ、あの、すいません!ひ、100均の包丁とまな板しかないんですけど、いいですか??」とか恐縮したフリしてみたりして~。

で、ケータリングを始めた頃なんて忘れ物しないように3日くらい前から緻密にチェックしてたんですけどね。だってカッコ悪いでしょ?忘れ物するプロなんて。(完璧主義のA型?)

それでもトラブルって起きる時は起きます。何度か現場を体験するうち、結果としては現場にあるものを使うのが最高に楽しいことに気づきました。

個人のお宅にお伺いしてお料理させていただくこと、多いです。ある時は友人宅、ある時は歯科医院のお家、ある時はウガンダ大使のお宅、アーティストのお宅・・・
どこの家にも、それぞれの道具があって、それぞれの置き場所や扱い方がある。それを見せてもらえるのが楽しいです。包丁が無いところもあったので、そんな時は野菜を「すりこ木」(←なぜ包丁が無いのに、すりこ木があったのかが不思議でしょ?)で叩いてローストすると、「叩き野菜の野趣あふれる香り焼き」とかなんとかタイトルつけちゃうわけです。キノコは手で裂けばいいし、野菜も手でちぎれば包丁で切る時と味も違うからおもしろいのですよ。

さて「すりこ木」のことを書きましたが、最近、わが師匠・柿沼忍昭和尚が、しゃもじや匙、すりこ木にお地蔵さんの絵を描いておられまして、その作品が東京で展示されます。

これにあわせて、古くなって使わなくなった「すりこ木」「木しゃもじ」を収集しております。
実家やおばあちゃんの家の台所に眠ってるすりこ木、しゃもじ、あるかもしれません。
それにまつわるお話を聞けるかもしれません。
あなたが送ってくださったすりこ木と木しゃもじに、忍昭和尚が地蔵画を描いてくれます。長い間、家族のために働いてくれた道具達に、感謝の気持ちを描き、成仏していただくというプロジェクト。こうして集まった作品で個展を開くのが次のお楽しみ!

どう?おもしろそう?興味があったらaho1017@feel.ocn.ne.jpまでメールください♪

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◆東京・国立にて柿沼忍昭個展のお知らせ

柿沼忍昭展ー道具になった地蔵ー

『あんしんして食べられますように』
心を込めて擂粉木・杓文字・匙・篦にお地蔵さん書きました。

2008.4/2(水)−4/13(日)12:00〜20:00
最終日17:00まで
休廊日 4/8.9
在廊日 4/2.3.4.5.6.7

ギャラリーじゃらんじゃらん小舎

東京都国立市東2−5−20
℡ 042-577-3908

◆柿沼忍昭ブログ
http://bejustbe.exblog.jp/8436490/

柿沼忍昭(僧侶、料理研究家、禅アーティスト)1956年神奈川県生まれの湘南ボーイ。20歳で出家、インドを放浪する。曹洞宗本山永平寺で一年間修行、精進料理を学ぶ。のちに北海道で虹奄(こうあん)を開く。アメリカンインディアンの教えにも禅があると感じ、自らスエットロッジの儀式を友人と行い、その中で地蔵の絵を描く許しを乞う。処女作品は自らの中にも存在しているという地蔵のDNA。地蔵=クシデバルガ=ガイヤ=大地の子宮というつながりのなかで、自分も全ての人も地蔵の要素を持っていると悟る。“あるがまま”(Be Just Be)をスローガンに日米各地で活動範囲を広げながら悪戦求道中。

icon:cherryblossomtoniのイベント情報


「食禅(じきぜん)-器から禅を学ぶ-in 関西

4月12日(土) 11am-14:30pm 大阪 イーストウェスト対話センター
4月13日(日) 15pm-19pm   滋賀県大津
http://sq-life.jp/event/003151.shtml

よろこび 

おかえりなさい

喜ぶ って修練して出来ることなのかな??修練はできないだろうなあ。

むしろ私などは「怒る」行為に修練が必要でした 怒れない自分に怒ったりして。

この 生を 存在全体で 喜ぶ

痛みとか 美味しいとか かゆいとか なんかドキドキするとか ぜんぶ含めて。

以前は「喜ぶこと」って とてもスペシャルな事件だと思ってました。

すごーく良い事件がなければできないと思っていたのですよね。

占いで「ラッキー度100%!今月は12年に1度、恋人が出来る確率の高い時期です」とか書いてあったとする。それを読んだ時点では、まだその月が始まってないから、なんとなく期待と嬉しさがある。

ところが・・・。その月の後半になっても誰とも出会いがなくて、彼氏どころじゃなかったら、私の心の平和がなくなって、喜べない。それどころか、「ほかの人は本当に彼氏が出来てラッキーな気分なのに、私は運から見放されてるんじゃないだろうか?」なんて思い始め、「きっと一生孤独なんだわ、どうせ私なんてぶさいくだもん・・・」と思いながら鏡を見て落ち込み、ふと乗った体重計の目盛りを見てさらにこの世から消え去りたくなってしまうかもしれない。

これを書いてて気づいたけど、外側から与えられるものがなければ喜べなかった、っていうことだな、そうそう。

なんか 気がついたら いつも嬉し楽しいんですわ、今。

嫌な事とかありますし、仕事も忙しいし、もっと息子と一緒に過ごしたいけどそうもいかないし

痩せたいし、もっと環境に良い社会になりたいし、もっとお洒落したいな、とか

いっぱい思うことありなんですが

そう思えることも 嬉し楽しい喜びに感じちゃいます

無垢なアホ??でしょうかね?
ええやん、それ♪  「無垢なアホ」

赤ちゃんは 喜びそのもので存在しています

政治家の批判もしないし 未来の悲観もしない 毎日の晩御飯の献立を考えてイライラしない

それは自分の存在そのものに 絶大な敬意と愛を注いでいるからでしょうね

喜びそのもので 出会う 体験すること全てを 迎えているのですね

誰もが 全てが 特別であり 特別でない ただただすばらしい

体の内側から 美しくて 踊りだしたくなるような リズムと音色 響かせたいもんだねえ。


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「食禅(じきぜん)-器から禅を学ぶ-in 関西

4月12日(土) 11am-14:30pm 大阪 イーストウェスト対話センター
4月13日(日) 15pm-19pm   滋賀県大津
http://sq-life.jp/event/003151.shtml

ジプシーの血か?

おかえりなさい

先日、大阪十三にある、素敵な映画館にて上映中の映画「ジプシー・キャラバン」を観てきました。

http://www.uplink.co.jp/gypsycaravan/

その数日前に、同じ映画館で上映されていた「ファースト・フード・ネーション」という映画を観にいった時に予告編を観て、「これは!」と思い、楽しみにしていました。

いやあ・・・全編とおして興奮。涙が流れ、心が、血が躍り続けていました。

乗りやすい私は「もしかして私はジャパニーズ・ジプシーか?」と思ってしまうほどです。

ロマと呼ばれる人たち。Wikipediaによると、
ロマ(Roma、単数形はRom)は、北インド起源の移動型民族。移動生活者、放浪者とみなされることが多いが、現代では定住生活をする者も多い。かつてジプシーとして知られた彼等だが、ジプシーはエジプト人という誤解から来ていること及び既に偏見、差別的に使用されているため、最近では彼等の自称としてロマ(その単数形のロム)が使用されるようになった。

ハンガリーにおけるロマジプシーという呼び名は、「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音消失したものと言われる。彼らの主流は、インドから移動してきたと考えられているが、非インド起源であることをアイデンティティとするジプシーとして、コソボ紛争で有名になったアッシュカリィやエジプシャンなどがある。

アルバニア語を母語とする彼等はロマとアルバニア系等との混血の子孫とみられるが、特にエジプシャンはアレキサンダー大王に従って移民したエジプト系の末裔を自称しており、それぞれがロマとは別のグループであることを主張する傾向がある。

・・・と長い引用になってしまいましたが、Gypsyというと「スペイン」だと思っていた私。
映画を観ていると、長い長い虐待の歴史と、その哀しみと生への情熱が音楽という乗り物になって彼等を動かしているんだと思いました。その信仰は国によって異なり、言語も全く違う。

ところが共通している点も多いと感じました。まずは「歌声」です。
声の出し方が共通しているのですね。

まさに魂の叫び、とでも言うのでしょうか。

彼らの多くは、普段はシンプルに「風呂もないし水洗トイレもない。寒けりゃ自分で火をおこさなきゃいけないんだ」なんていう生活の人がほとんど。決して貧困の中には居ないけど、多くの先進国のスター達とは違う。

Gypsy Caravanに登場するミュージシャン達は全員が、「国民的人気スター」たちなのに、実生活は普通なんですよね。近所の子ども達を集めて、音楽を教えたり、音楽の歴史を伝えたり、家族を養う、村に電気を通すために頑張ってる。

何でも簡単に手に入る、世界各国の食べ物が通販で買える、バーチャルでいろいろ体験できる国に住む私がかつて描いた「憧れるスター像」は、やっぱり豪華な暮らしをしてる人たちでした。

やっぱり「ナマの生命」を感じさせられるアーティストとアートがいいなって思うのでした。

映画を観た帰り、駅から家まで誰も居ない通りを、星空の下で踊って帰りました。

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お知らせです。

4月12、13日に大阪と滋賀で「食禅(じきぜん)」を行います。
久々の柿沼忍昭師匠とのコラボが楽しみです。
関西にお住まいの方、どうぞ遊びにきてくださいね!

http://sq-life.jp/event/003151.shtml

自由

おかえりなさい

体が持つ古い傷が痛む時、多くの場合、その傷がついた時の状況を思い出しちゃいます。
それはとても辛い状況だったかもしれません。

思い出すことで「今、在る痛み」に「過去の記憶」というものが加わり、さらに酷くなることもあります。

ただでさえ痛みが強烈だと、過去に体験した恐怖や哀しみも戻ってきて「現在」から離れています。今は安全な環境であり、自分は「古傷が痛い」だけなのに・・・。

「~のせいでこうなった」「どうして、あんな酷いことをされなければいけないのか」と考え始めます。

わたしにもあります。この痛い古傷。それは他人からの暴力によるものでした。
普段はどうもないのですが、疲れがたまると再発します。
そうなると、ほぼ自動的に「私が調子に乗って、他人への優しさをおろそかにしている事への罰なんだ。」と考えていました。被害者意識に慣れると、思考パターンはなかなか変えられません。

あまりの痛みに耐え切れず、マッサ-ジ師である相方さんに相談しました。私は心のどこかで「可哀相に」という慰めを期待してるわけです。

私は、慰められても痛いのは治らないし、自己嫌悪に陥るだけだと十二分に自覚してるにも関わらず、それでも期待してるんです。古い思考パターンがこびりついてますから。

で、彼がかけてくれた言葉は「息をゆっくり吐いて」でした。

体は過去に起きた全てのことを反応として記憶しています。

つまり、過去の恐怖を体が再体験して必要以上に緊張しているだけなので、まず「現在に戻る」そのためには、息を吸って、吐く。これがまずできることだよ、という意味です。

すぐには和らぎませんでしたが、恐怖や恨みの感情にアクセスしないで、現在の痛みだけを意識すると、ずいぶん楽になりました。

それと同時に、今回は回復の過程で、傷をつけられた相手への思いが、少しずつ変化してきました。

もう、いいんじゃない?って。

「相手を許したい。そして相手からも許されたい」そんな気持ちへの執着を手放したい。

今あるのは「痛み」だけ。
過去のそれではなく、現在の自分が体験している「体の痛み」です。「心の痛み」ではありません。過去は取り戻してやり直すことができませんから。

「どうして?」と過去の何者かに問いつづける限り、自分の心に安らぎや平和はなくなったまま。

私はこの痛みから自分を自由にしたい、と強く願いました。で、ふと気づいたんです。

自分の心のもち方に「Responsibility(責任)」を持つだけで、自由になる。

Response(応答)するAbility(能力)=Responsibility だと考えれば、
「責任」と「義務(Obligation、Dutyなど)」との違いがはっきりしてきます。

今日も一日、自分の心をお掃除しながら得る自由を味わいたいな。

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