
おかえりなさい。
そして、ただいま!しばらく長野の女神山に居ました。久々に続きを書いています。
女神山での体験もすばらしかったので、また報告しますね!
さて食禅の続き。長い道のり経て、皆さん座って食べものと向き合っておられます。
給仕が終わり、「五観の偈(ごかんのげ)」を皆で唱えます。

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五観の偈 (Wikipediaより引用)
一には功の多少を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
二つには己が徳行(とくぎょう)の全欠を[と]忖(はか)つて供(く)に応(おう)ず。
三つには心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
四つには正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。
五つには成道(じょうどう)の為の故に今此(いまこ)の食(じき)を受く。
【略訳】
一つ目には、この食事が調うまでの多くの人々の働きに思いをいたします。
二つ目には、この食事を頂くにあたって自分の行いが相応しいものであるかどうかを反省します。
三つ目には、心を正しく保ち過った行いを避けるために、貪りの心を持たないことを誓います。
四つ目には、この食事を、身体を養い力を得るための良薬として頂きます。
五つ目には、この食事を、仏様の教えを正しく成し遂げるために頂きます。
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食べる間も、お喋りは禁止です。そして食べる時も極力、音を出さないようにいただきます。つまりおかずが固いものだと、音を出さないように食べるのはとても難しいですね。

・・・すいません・・・私は魔女っ子ですから、ついつい、いたずらしてしまうんです。はい、この日の菜は筍。音、出ますがな!!ちなみに2日目は葉ゴボウの炊いたんと、葉ゴボウの白和え。音出るっちゅうねん(笑)皆様、顔をしかめながら音を出さないように食べてくださってありがとうございました。いひひ(ビシ!!警策その④)
道元和尚の「赴粥飯法(ふしゅうくはんぽう)には、さらに細かく、食べ方が指導されています。
忍昭和尚が、粥の食べ方をみせてくれました。粥をさじですくうのも、頭鉢を構える位置も全ての動きが決まっています。それは全て、理にかなったものなのです。
(この無駄のない美しさに、私は昇天しちゃったのよね~ん)
おかわりのことを「再進」または「再請」(さいしん)といいます。これも正式な作法です。
ある程度食事が進むと、「再請」という声が響きます。
再び浄人が給仕します。
おかわりが欲しい人は、その時までに、はじめにもらったおかゆを全て食べきっているのが通常です。
ここにも無駄が無いですね。自分が必要な分だけをいただく「量に応じた器」、だから「応量器」。
食べきれていないくせに、次を欲しがる。よくビュッフェで見かける光景です。まだ食べ物が残っているお皿を持って、おかわりのために席を立つ人。
「千と千尋の神隠し」という映画がありました。ご覧になりましたか?
あの映画のメッセージには、
忍昭和尚が教えてくださる「三毒(さんどく)」とのつながりを感じます。
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仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を指す。人間の諸悪・苦しみの根源とされている。(Wikipediaより引用)
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これについては、自分でもっと勉強してから書きますわ。
おかわりが欲しい人は、さじをうつわから降ろして浄人を待って、おかゆを入れてもらいます。自分が食べられる量を入れてもらったら、さじを軽く上げて合図をし、止めてもらいます。おかわりが欲しくない人はうつわの中におかゆを残し、さじをうつわに入れたまま浄人を待ちます。
お箸は器に乗せておきます。この時も、箸先を他人に向けないように、斜めに置きます。
おかわりが必要な者は浄人が自分の前に来たら合掌してうつわを持ち上げて、浄人が見落とさないようにします。
とかなんとか言っても、私は初心者の浄人、そして参加者の皆様も初心者マークの修行者ですから、当然このようにスムーズには行きませんでしたが。。。
食べ終わる時、たくあんを一枚、残しておきます。この食事でたくあんの存在は大きいのです。
ところでたくあんを音を出さずに食べるって、大変です。
このことについては、忍昭和尚があみだした「秘儀」を聞かせてもらいました。
知りたい方は、次の食禅に来てね♪
続く
おかえりなさい。
食禅ワークが始まり、すでに1時間経過。それより、私のレポはすでに何日経過してるんだ?
首をかしげながら袱紗を結んだり鉢単を開いたり。袱紗や器を扱っている皆さんの目は真剣そのもの。

器と匙、箸が並び、いよいよ食事が厳かに給仕されます。
永平寺修行定食
内容は粥、一菜、たくあん、ごま塩。この日の一菜は「筍と人参、うす揚げの炊いたん」。関東では油揚げっていうんだってね。厚揚げを東京で「生揚げ」って言うのには私、最初めっちゃびっくりしたよ。
あ、話がそれた。
食事を作る人を「典座(てんぞ)」、給仕する人を「浄人(じょうにん)」と呼びます。
お粥は典座兼浄人役のtoniがひとり一人に給仕させてもらいました。私はまだ経験不足で、厳か・・・には、ほど遠い(ビシ!警策③)。
浄人役。給仕されてる皆さんも緊張してはるけど、私も、めちゃ緊張してる。こぼさないように注ぐとかさ、受けとる人との「触れ合わない、目を見ないコンタクトの仕方」とか。無駄の無い動きを意識することが、「食」と向き合うために重要であることを、この食禅の全ての動作の中にあるのを感じるんよね。
給仕される者も、する者も、それらを待つ者も、そして食べ物、ここには居ないけれど、その食べ物に関わった全ての人、それぞれが「ここ」に存在してるねんよ。
今回は、部屋のレイアウト的に給仕が困難なので、粥以外の食べものは各自、お皿から取ってもらうことに。
面白くて男前のお兄ちゃんの愛が詰まった「たくあん」が、いよいよここで登場したで。
普通、たくあんって5ミリくらいの厚さがあるやん?
ここでは薄~く薄く切られたたくあん、これには理由があります。なんででしょね~?(答は後ほど)
さて、まずは柿沼忍昭師匠が自分の器に盛り付けられます。「自分で給仕する時も、この部屋に居る人数と、お皿に入っている料理の量を見て、自分だけが取り過ぎないように、全てに気を配りましょう。」とのお言葉がありました。
食べ放題のお店やホテルの朝食ビュッフェなどで、明らかに食べきれない量の食べ物を、あれもこれも皿に盛る人を、よくみかけます。親がそうだと、子どもも真似して同じことをします。「残しても構わないよ。だってこっちは金払ってるんだから。全部味見しなきゃ、損・・・」と言う気持ちでしょうか。
私は、これまでいろんな機会と場所でお料理を作ってきました。中には、後の人を考えずに自分の分だけたっぷり確保しようとする人が居ます。そういう時は、とても哀しくなります。美味しいから食べてくれるのは嬉しい。それは分かるねんけど、こういうタイプの人を見かけると、「飽食の国で、何故そこま貪れる?」と感じるし、自分自身の心に立ち返らせてもらえるチャンスでもある。
参考までに、実際にお寺で給仕される時の様子を「典座ネット」というブログから引用させていただきました。http://blog.tenzo.net/index.php
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給仕係(浄人・じょうにん)が台に乗ったおかゆの桶を運んで雲水の前にやってきます。雲水は応量器の中で一番大きな椀を両手で持ち上げ、少々前にかがんで浄人に差し出すのです。浄人はお玉でおかゆをすくい、椀につぎます。もらう側の雲水は、「このくらいでけっこうです」というタイミングで、無言のまま浄人に合図を出します。右手の人差し指と中指を閉じてのばし、親指、薬指、小指を握ってじゃんけんのチョキが閉じたような形にします。そして手のひらを上にして、クイっと上げるのが「このくらいでいいです」の合図です。
欲しい量だけよそってもらったら、互いに無言のまま頭を下げ、雲水はうつわを置き、浄人は他の雲水の給仕に移ります。
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↑↑余談やけど、やっとリンクに色をつける方法がわかった!!↑↑やた!!今日の収穫。
上の典座ネットさんの「合図」もあるようですが、今回は匙を持ち、その匙をクイっと軽く上げる合図を教えてもらいました。
さて。食べ物が行き渡ったところで、合掌です。
続く。(え・・・まだ食べられないの?って?。当たり前やん![]()
おかえりなさい。
応量器に触れる前に、まず座り方、合掌、叉手(しゃしゅ)、また座禅中や何もしていない時の手の作法(法界定印:ほっかいじょういん)、視線の位置、お辞儀の仕方を教えてもらいました。
合掌するときは、5本の指をきちんと揃え、指先を鼻の高さ、一握り前辺りに上げます。
お辞儀は、腰からまっすぐに倒します。皆がまっすぐお辞儀すると、部屋全体の空気が凛として涼やかに、美しく感じました。
仏様の頭蓋骨だと考えられている頭鉢と、その中に納められた器たち。この小さな空間の中に、宇宙が、曼荼羅があるようにすら、思えてきます。

その神聖な器に触れる前に、こうして心と体と魂全体の姿勢を整えるということなのかな。
心が引き締まります。
と言いたいところです・・・が。例によって私は包丁を忘れました。
T:『し、師匠、すいません(号泣)』
忍:『たわけもの!!修行が足りん!!!バシ!バシ!(師匠の警策の音) 東司(トイレ)掃除1ヶ月じゃ!』
T:『うぐぅ!は、はいぃぃぃ!!』
・・・なんてことは起きていません。漫画「ファンシイダンス」(岡野玲子作)を読み終えたばかりのtoniの妄想です。
さて、いよいよ袱紗をほどくことから、応量器の使い方を学びます。
一枚の布に包まれた応量器。

一見、地味な色の布で包まれたお弁当箱みたいです。(この色にも意味があるそうです。またの機会に!)
中心部分が片蝶結びされています。
その片蝶結びを開くと、白い木綿の布巾がかぶせられており、ひざかけ、箸袋がのせられています。
扱う指は3本のみ。親指、人差し指、中指。これらを「浄指」と呼びます。
布巾の畳み方も、ひざかけの開き方、畳み方、箸袋の置き方も方向も、全て決まっています。動作には無駄がなく、物が交差する動きはありません。文章で読むより、実際に体験されると分かる合理的な美しい動作です。私が個人的にお気に入りなのは、ひざかけの開き方、畳み方、そして戻し方、そしてZ状に開く鉢単(はったん)と呼ばれる敷物を開く時、なぜか分からないけど、それをやってる自分が「かっこいい!」って思うんっすよー。
これやってる時、つい澄ました顔しちゃうんですよね、私。
・・・はっ!いけない。なんか軽率になってきたワ![]()
次に入れ子になっている器を小さいものから一つずつ、慎重に親指で押さえつつ、音を立てないように頭鉢から取り出し、並べていきます。これがまたかっこいいのよ・・・(ビシ!←警策② 笑)
匙と箸を置き、器を並べる作業が終わります。これらを展鉢(てんぱつ)といいます。
鉢を展(の)べるっていうことなんだそうです。
足しびれてますぜ・・・表情が固まってますぜ
おなかが空いてる人も多いだろうな~
・・・ま~んだまだ 食べ物に会えるまで 時間がかかるのだよ~ん![]()
続く
おかえりなさい
さて、とうとう大阪では初めての食禅ワークの日になりました。
昨夜あんまし眠れなかったんですが、気が張ってるから身体に疲れは感じません。
私、小心者ですから、実は内心ビビリまくって緊張してるわけです。
(そうは見えないらしいね。)
車に道具や材料を積み込みました。「よっしゃ!完璧や!いつもながら私ってデキル女
」
ケータリングの時、車に食材やお料理を載せて、走りだすと途端に不安になります。「忘れものしてないかな」何度確認しても、やっぱり不安は不安。この緊張感が、やはり好きです。
「よっしゃ完璧や!ほな、いくで~」と、機嫌よく車に乗ろうとしたら、息子が「おかーさーん」となにやら呼んでます。なんてことはない、ハグがしたかったらしい。
玄関先で息子と熱いハグをしている私の視界にひとつの物体が飛び込んできました。

・・・・・・ごぼう、忘れてるやん・・・・・・
息子よ。君は僕の天使だぜ。
ここまで書いてて、まだ食禅が始まってないとは、どこがレポやねん!?
と師匠のツッコミが入りそうなので、そろそろ師匠を登場させましょかね。
というわけで、着きました。この日の会場:イーストウェスト対話センター。
ここのボスのハルさん(村川治彦さん)はSQのブログに私を紹介してくれた人です。
オークランドに住んでいた頃、お正月のお節会でハルさんに出会い、その後、ハルさんの「トランスパーソナル体験」に参加して、初めてトランスパーソナルという言葉を知りました。当時、私は「トランスパーソナル」と「トランスジェンダー」を勘違いしており(自分の仕事が性被害関係だったんで、つい)、ハルさんのWSが始まって30分以上、「一体、いつになったら性の話になるんだろう?」と思っていたというアホなエピソードがあります。
・・・って、ハルさんが登場してるがな!!
あ・・・また脱線してしもた。す、すいません、師匠!
2Fの座敷を会場にしました。2階なのにお庭があるという不思議な場所で、私の大好きなお部屋です。わたし達は1Fのキッチンに戻り、師匠が応量器を一つずつ袱紗で包み、セッティング完了。私は食事の準備です。一人、また一人・・・と参加者の方が来られます。ちなみに一番乗りは藍さん♪
初対面の藍さんは、想像していた感じと違いました。すっごいアダルト~で和風~な感じと思ってたの。とてもキュートな方です。私のようなアホでも、お相手してくれそうで、安心しました(笑)。
この日の参加は8名様です。
当初、1Fを会場にする予定でしたが、部屋を変更したので、いっそのこと、ワークの導入も変更しよう、ということに。師匠の臨機応変さ、そして場を思い切り楽しみつつ、皆にとってベストな方法を見つけ出す素早さと才能には、いつも尊敬します。
さすがやっぱり、あれですかね。禅のお坊さんは「公案」があるから、頭の回転が速いのかな。
(公案:修行中の僧は、「師家(しけ)」と呼ばれる師匠の僧から、問題を与えられる。この問題を「公案(こうあん)」という。公案を与えられた僧は、多くは座禅をしながらこの回答に取り組むのである。そして、回答を得たと自分なりに感触を得たら、師家の所におもむいて自分の考えを表現する。 この回答に対し、師家がOKを出すことで、晴れて悟りを開いたということになる。この一連を総称して「禅問答」と呼んでいるのである。)
道に迷った方も居られ、30分遅れてスタート。まず師匠からお話があります。
「あなた方は修行僧なのです。私が25年かけて学んできたことを、今日この一日で知ることができるのです」
「禅に関わる学びの場に来るということは、開始時刻にはすでに心を鎮め、学びの準備ができている状態でないといけません。つまり開始時刻に来るのではなく、早めに来て自分を整えておく必要がありますよ。」
空気がぴしっと緊張しました。
立ち上がり、皆でしずしずと歩いて1Fへ。包まれた応量器を一人ずつ、師匠から手渡され、低頭して静かに階段を昇り、会場に向かい、それぞれの場所に座し、応量器を目の前に置く。
さあ、これから応量器と向き合う時間が始まります。
まずは包みをほどくことから始めます。
続く。
おかえりなさい
4月12日、13日は大阪と滋賀で食禅を行いました。
ちょこっとレポートなぞを書いてみます。裏話も登場しちゃうかもです。
八重桜がそろそろ咲き始めた4月11日。
買出しや仕込がしたかったので、会社は午後休をもらいました。車に乗り込んで、重要な品物を買いに行きました。会社から家までの帰り道に、八百屋さんがあるんです。ここには、食禅には欠かせない必須アイテムがあるのです。なんだと思います?
たくあんです。
ここの八百屋には、その2日前にはじめて入りました。「八百屋さんやったら、自分とこで漬けたはるんがあるんちゃうかな~?」と思って。
思ったとおり、ありましたがな。糠漬けの大根が。大根が私を呼んでたんでしょうね。たくあんを眺めていると、八百屋の兄ちゃんが「感動するで、それ食べたら。」と声をかけてくれました。
「お兄ちゃんが漬けたはんの?」と聞くと「せや。俺が毎日つけとんねやで。旨いぞ~」と、つけもんへの愛たっぷりな目でニコニコ笑って言うので試しに買ってみました。
家で息子と試食。
「うっま~~~~~~~~~~~~~~~~~
」
というわけで、2日後の食禅の日には必ずや、このたくあんに登場していただくぞ、とト二はたくあんに忠誠を誓いました。で、11日にまたお兄ちゃんとこで、糠床から抜いたばかりのたくあんを分けてもらいました。季節は4月ですから、八百屋には春野菜がたくさんあります。食禅で何を使うかな~?筍、独活、アスパラ、それとも蕨・・・
1週間くらい前から、私の脳は食材のことだけになりました。漬けモンのお兄ちゃん、毎日糠を触ってはるからかな?顔がツルツルして光ってるんですよね。その色が、ゆでた筍みたいだったので(笑)今回は筍に舞台を飾ってもらお~と思いました。とりあえず、筍。そして2日目は違う野菜にしよう。
みんながあまり食べたことが無さそうな食材を使いたいなっと思いました。
それでふと思ったのが、私の生まれた大阪府八尾市や、香川県あたりで採れる「やーごんぼ」葉ごぼうです。

師匠も食べたことない~、っということだったので、これに決まり♪
材料も揃ったし、あとは師匠を待つばかり。
そんなわけで発酵した糠の匂いが充満した軽自動車で、夕方に師匠をお迎えしました。
1月にSQさんが開催してくださった食禅以来の再会でした。伝説の晴れ男だそうで、やはりこの日も前日の嵐がウソのように晴れ渡りました。よかったですね、伝説が守られて。
山桜が咲き誇る箕面の山をドライブしました。今、すごくキレイですよ。おすすめです。
いよいよ明日は本番一日目。記念すべき大阪初の食禅が実現です。
SQのブログ仲間、岡田藍さんも参加してくださることになり、初めてお会いできるのがとっても楽しみ。
前夜は興奮のあまり、なかなか眠れませんでしたよー。
続く!
おかえりなさい
前回の続き、です。
書きたいことを書いたつもりで、私という人間は何かを感じると、自分で消化する前にすぐ発表したくなる性格でして(汗)。消化しきらずに、とりあえず言いたいことだけ出しちゃわないと、心のメモリ数が少ないのかもしれませんね。あんまり保存できないのかも。
後になって「あ。そうか。もっと書きたいことがあったんだ~」って気づくわけです。
大抵、会社の帰り道なんですよね。歩いてる時。
で、やっぱり今日もそうだった。
朝、出勤途中の会社員たちと並んで歩きながら泣いてた私ですが、しばらく歩いてるうちに、ふと、感覚が変化した瞬間がありました。
それまでは自分の歩く足音と、自分の思考だけに意識が向いていたのです。目はもちろん周囲の風景を見ているけれど、それらを見ながらも、私の思考は常に自分の内側だけを見ている状態でした。
つまり外界をシャットアウトして自分の「今、ダメな部分」だけを考えてました。
天国も地獄も、全ては私が心の中に映し出して、それを現実として把握しているにすぎない。
そう思ってしばらくした時、ふと視界の右端の地面に、雀が一羽、ぴょんぴょんっと飛びはねていきました。その雀が飛び跳ねた音が、私の耳に飛びこんできました。
とてもかすかな音です。爪の先で紙を軽く引っ掻くよりも小さな音。
しかし確実に大気は、この雀の動きによって変化している。
私の一歩が、そして私のほぼ隣を歩いている、全く知らない男性の足音もそう。
全ては混沌の中にあり
全ては静寂の中にある
その二つは一瞬も止まることなく わたしたちや地球全体や全てを包みながら
ただひたすら 起き続けている
それが解ったのか、気づいたのか、それとも妄想できたのか。
そんな事、どうでもいい。
雀が首を左右にキョロキョロしている様子さえ、その動きが音として聞こえそうな感覚になりました。
おかえりなさい
今朝は雨でした 桜の花びらと、どこかから散っている赤い木の葉が敷き詰められたアスファルトの道
久しぶりに水たまりの中を歩いた
アスファルトのヒビの間から雑草が芽吹いています 人工的な黒と生きた緑が、小さな水たまりに同居しています。
雨で空気がじっとりしているので いつもよりいろんな匂いがはっきりわかります。
改築中の家の扉の隙間から、新しい材木の匂いがしました。
湿気を含んだ材木の匂いを嗅ぐと、子どもの頃、お寺さんの敷地内の公園で遊んだ帰り道にある、建具屋さんの横に立てかけられているたくさんの材木を思い出します。
皮を剥いだ後の木の匂いを嗅いだ私の脳裏にはいろんな情景が浮かびます。
皮をむいたばかりの大根の肌、そのみずみずしい色と艶、
皮をはいだばかりの鯛の身
皮をはいだばかりの鶏肉
生きたまま皮をはがされ、毛を安売りのジャケットの襟部分にされる犬や猫たち
爪をはがれ、皮膚を切り裂かれる チベットのひとたち
さっきまで清々しい木の香りにうっとりしていたのですが、一瞬にして浮かんだこれらの情景に、気づいたら私は涙を流しながら歩いていました
憎しみをつくりだすのはわたし達人間である
悲しみも 愛しさも 嬉しさも つくっているのはわたし達人間である
地獄を 天国を 平和を 戦争を
すべてはわたしたちがこころにつくりだしたものをみているにすぎない
おどろう
スキップしてみると 水がばしゃっと 跳ねて 桜の花びらが舞い落ちてきました
おかえりなさい
今朝、会社に向かって桜並木を うっとりしながら歩いていました。

あ、言っときますけど、「写真はイメージです」(笑)こんな素敵な道じゃないよ![]()
最近、チベットのこととか考えてると、あまり笑えなくなってる自分が居たんです。
ある人のミクシイの日記に「果因説」というのが紹介されていました。少しだけ引用させていただきます。
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果因説とは、未来に希望を定め、その希望を成就し、実現するために、そこに向かって一つ一つの原因を編み出し、作り出してゆくもの。
「チベットが平和になった」「チベットが自由になった」とかを想う・・・
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って書いてありました。
「くだらない」「楽観的でナンセンス」???
そう言う人も居るだろうね。だが、想いが現実を造る、というのは本当だと思う。
自分の家の冷蔵庫の野菜を腐らしといて、外に出て平和や愛や、と叫んだらアカンわ、って私は考えています。外国の悲惨さばかり追ってちゃ、自分の冷蔵庫の野菜を無視してることになるわけやから、道ゆく人たちの顔をひとつひとつ見ながら、「みんなが平和で笑えるようになった」という想念を発してみました。
アタシ一人の想いが変化した。「ただ、それだけのこと」やね。少なくともここで二人の人間の想いが変化してる。
想像してごらん 天国なんて存在しないと
想像しようとすれば簡単
僕達の下に地獄なんて無いよ
ふり仰げば空があるだけなんだ
想像してごらん すべての人々が
現在を生きている、と…
想像してごらん 国境なんて存在しないと
難しいことじゃない
殺す理由も、死ぬ理由もない
宗教なんてものも存在しない
想像してごらん すべての人々が
平和のうちに暮らしていると…
僕のことを単なる夢想家だと思うかもしれない
でも、僕ひとりだけじゃないんだ
いつの日にか 君も仲間に加わってくれよ
そうすれば 世界はひとつになるだろう
想像してごらん 所有なんて存在しないと
君にもそういう考えができるかな
貧困になったり飢えたりする必要はない
兄弟同志なのだから
想像してごらん すべての人々が
この世界を分かち合っているのだと…
僕のことを単なる夢想家だと思うかもしれない
でも 僕ひとりだけじゃないよ
いつの日にか 君も仲間に加わってくれよ
そうすれば、この世界はひとつになって動くだろう
(イマジン by John Lennon)
この歌詞が 果因的に感じられました。心がビリビリしました。
急に頭がピーマンにみたいに「スカスカ」したっていうか(笑)
英語で言うとPepper head ですね、いや、ウソですて(笑)。
桜の道が途切れ、水の枯れた、ゴミだらけのドブのコンクリートの隙間から 「生きてるぜ!」と言わんばかりに 太陽のヒカリに向かってシャキーンと立ってる、誰からも注目されない、厄介モノ扱いされちゃう雑草が たくさん生えてる鋪道に出ました。いのちのかがやきは、華やかな桜と同じく、ここにもあります。
向こうからたくさんの人間が歩いてきます。この道を歩く人たちは、この時間帯、私以外は全員、私が歩いてきた方向にある別の会社の人たちなので、私は1度にたくさんの人間とすれ違います。
みんな 宝物を持ってるんだよ・・・生きることって 宝捜しなんだよ・・・
そんな思いが過ぎったような?気がしました。そのまま歩きつづけますが、前から歩いて来る人たちが全員 キラキラして見えるかも![]()
![]()
あれれ??ほんとだ みんな宝もの持ってるんだ 気づいてないみたい?
ってか アタシもそうか、気づいてないやんなーと思ったよ
おかえりなさい
You will believe that you are part of where you think you are.
あなたは、あなたが「居る」と思っている場所の一部分だと知るだろう
That is because you surround yourself with the environment you want.
あなたは、あなたが欲する環境で自分自身を取り囲んでいる
And you want it to protect the image of yourself that you have made.
あなたが想像して描いた自分のイメージが保護されることを望む
The image is part of this environment.
そのイメージは、この環境の一部分
What you see while you believe you are in it is seen through the eyes of the image.
自分がそこに居る、とあなたが信じている間、あなたは自分で「イメージした目」で全てを見ている
Would this not be another way of saying that all I ever see are my thoughts projected?
じゃあ、わたしがこれまで見たものは、わたしの思想が映し出されたものだ、と言えるのでは?
Now, when I change my beliefs about who I am, it stands to reason that I would then also change my thinking ........ and I would see a different world.
つまり、わたしは誰か?という信念を変えると、わたしの考え方も変化するのは当然だろう・・・そしてわたしには違う世界が見えることになる
In other words:
言い換えてみれば
"seek not to change the world, but seek to change your mind about the world."
“世界を変えようとせんでもええ。ただ、あんたが考えてる世界を変えるんや”
Meister Eckhart might add that we are not talking about the physical world but our inner world and that our inner world is the cause of our outer world.
エックハルトなら、加えてこう言うだろう。ここで話しているのは、物質的な「世界」の話ではなく、心の中の世界・・・わたし達の心の中の世界こそが、わたし達の外界の原因である、と。
Love to One and all
この写真は、デンバーに住む友人が3月最後の週末を過ごした山上でのリトリートのもの。友人曰く、今年で4回目だというこのリトリートは、男性だけの集まり。今年は96人もの男性が参加し、3日間合宿して、「男性性の解放」を行うそうです。男性として抑圧している暴力的な自分や、哀しみを押し殺している自分、思いっきり子どもに戻ってはしゃぎまわりたい自分・・・鳥の羽根や動物の皮(本物じゃないです)をまとい、自分の抑圧した部分を解放する儀式「影のダンス」とか、ジャンベ瞑想もするそうです。
男性が集まってこういうのは、素敵だなと思いました。パワフルな報告メールが来て嬉しいので、載せちゃいました。
愛を込めて
携帯でもSQ Lifeメッセンジャー・ブログが閲覧できます。
http://blog.sq-life.jp/m/
