toniのおかえりなさい ~こころ・からだ・スピリットの放浪~

2008年08月

不安の種

おかえりなさい

不安ってなんでしょう?
なんで不安があるのでしょうね。わたし、不安大王って名乗ってもいいくらい不安だらけです。

初めて食べてもらう人にお料理を届ける時、それがお金をいただく相手かどうかに関係なく不安です。
気に入ってもらえるかなあ。口に合わなかったらどうしよう。食あたりしたらどうしよう。
こんな料理しか作れないなんて、こいつ、料理人とか言ってるけど口だけだな、と思われるかな?

延々と心配が続きます。
食べてもらって、幸運にもその相手が喜んでくれた時は、天にも昇る思いです。それまでの不安が、一掃されます。一瞬で。
ただただ喜びでいっぱい。ありがとうで満たされます。相手が誰であれ、あなたのためなら海でも山でも越えまっせ!みたいな気分になります。

厳しいご意見をもらったら、逆に足が地面に戻っていく気分です。これは違う意味で、不安の解消の瞬間です。妙に安心します。あ、良かった・・・また次に勉強する課題がもらえた、って。崖だと思ってたのに、普通の道だった。まだまだ歩ける道がたくさん続いてる。良かった!と安堵します。
次に生かす大切なヒントを、料理と引き換えにもらえたわけです。感謝です。食べてくださった方のお口に合わなかったことは、とても申し訳ない思いですが。

不安が生じたら、それを誤魔化すのは簡単にできる。でも誤魔化したのは、形を変えて、また戻ってきます。しかもしつこく、いつまでも。それって本当は自分が解消したいから呼んでるに過ぎないのよね。

本当に解消したければ、その不安の元を体験するか、完全に開き直って不安を手放すのが、解消する道なのかな。体験学習型の私にとっては、後者のほうが難しいと感じます。そして体験するには、必ず他者との関わりが必要だと思います。

不安は果てしなくやってきますしね。一個解消したと思いきや、また次のがやってくる。制覇できない。
不安がすべてなくなったら、私はすごくピースフルな人になって平穏で生きていけると思い込んでました。

最近、師匠である柿沼忍昭和尚に気づかせてもらったことがあります。

実は、私は不安が大好きなのです。不安がなくなったら退屈しちゃうから、不安を見つけようとする。

料理を作る時、私はいつも誉めてもらいたいという欲望があるのです。エゴイストですよね~。でもホントのことです。イヒヒ。だって誉められるの好きだもん。

「不味い。料理なんか、やめちまえ!」って言われるのは辛いだろうけど、それよりも、何を作っても無反応な相手のためにご飯を作るのはもっと辛いです。
ここには、不安など生じません。最初から諦めながら、どこかに期待しながら作ってる。
相手が食べてるのを見てる。やはり何も反応がない。がっかりする自分を感じるのも、もう嫌なのです。
そういう経験が私にも数年間ありました。

変な話やけど、あの体験のおかげで、誉められたら素直に嬉しい!って思えるのかも。
誉められて嬉しいから、次も頑張るぞ~って思える。逆に誉められて自分が思い上がることが怖いです。不安って結構「おいしい」んです。嫌だけど。

諦めと不安の関係性について、ちょっぴり考えた一日でした。

不安って自分の心の成長の栄養素ですか?おし~えて~お師匠さん~♪(ハイジの歌風です)

今日、たまたま見つけたDVD「ブリッジ」を観ました。サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジから飛び降り自殺をする人達と、現場に居合わせた人、死者の家族を描いたドキュメンタリーです。実際に飛び降りる現場が何度か出てきます。
この映画、重いテーマですが、観ていると、どこか静かな平穏さが漂う不思議な作品でしたよ。

観終わって、青い空が見たくなったので、家の前にある公園で地面に寝転んでパチリ。息子に「おかーさん、アホ?」って言われましたicon:note

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しし座の新月:アートと食の集い②

おかえりなさい

8月1日はしし座の新月でした。
この日は「食とアートのワークショップ」第二回目でした。

アーツセラピストの森すみれさんとコラボで3回のワークショップを実施中なのです。
最終回は8月31日。実はもうすでに予約が満員御礼です。すご~い!

森さんのワークは、とっても神秘的。すみれさんの優しい笑顔と声に誘導され、第二回目はまず「身体を感じる瞑想」から始まりました。

20分くらい、お部屋の電気を消して、床に寝てゆっくりと身体を意識していきます。

今回のワーク会場はマンションの一室。つまりキッチンとリビング、仕切りが無いのです・・・

参加者の皆さん、静かに目を閉じて、呼吸と身体を意識・・・したいと思うのですが・・・

そこに漂う野菜カレーの甘いスパイシーな香り・・・時間は夜7時・・・

う~ん、かなりの苦行(笑)

ごめんね。お腹ぺこぺこなのに瞑想させるわ、ご飯の匂いぷんぷんさせるわ・・・
すいません、でも私のせいじゃないわ(笑)

瞑想後、身体が感じたことをそのまま絵にしてみましょう~、ということでみんなそれぞれがパステルを使って描きます。

私はというと、カレーを作っていたので寝転ぶことはできませんが
サラダに入れるためのピスタチヲを剥いているうちに、ある種のトランス状態に入ってしまったようで(笑)
身体とピスタチオが共鳴しちゃいまして。
急に絵が描きたくなったので、画用紙をもらいました。

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ピスタチオのパカっと開いた殻が女性器のよに、そして中の実が子宮のようなイメージに感じて。
体という海の中に居る私の子宮から光が漏れて、海の上から差し込む太陽の光と交じり合う・・・そんな感じの絵を描きました。タイトルは・・・あ・・・忘れた(笑)「なんとかの子宮」でした。

ワークを終えて8時から夕食が始まりました。
今日のメニューは、かぼちゃ、ひよこ豆、大豆、たまねぎ、トマトをじっくり煮込んだインド風カレーと、いちじくの葉を入れて炊いたご飯。ニンジンのサラダ(ピスタチオ入り♪)。
そして、

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「獅子座の新月」ですから「獅子唐辛子」(↑写真はししとうじゃないけどね)

・・・す、すいません。癒し系のWSなのに私ったら・・・

8月31日は乙女座の新月。次は何を作るかな。今から楽しみです。

リセットモード

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おかえりなさい

駐車場にひっそり咲いてる、露草。大好きな花のひとつです。

毎日暑いですね。私は朝8時すぎに会社まで歩いているのですが、8時でもすでに暑さが「どーん」と重くのしかかる感じがします。

SQのブログを書いておられる岡部明美さんの、ある日のコラム「魂の約束」。
醍醐千里さんという方の詩が紹介されていました。
その詩中の、ある部分が私の心に電気ショックを与えました。
心のなかで、ここ数日間、そのことを味わっていました。

魂には、自らをリセットする時期があるようです。
それを教えてくれたのは、最近ずっといろんなお話を交わしている素敵な友人です。
その方と共に重ねてきた対話と、そして岡部明美さんのコラムからあふれる優しい光が
私の心の中に、織り成されていったように感じています。

たとえば生死をさまよい、生還するような劇的な体験は
生きることについて、深く考えさせられるレッスンです。

私も生還した人間の一人です。その体験のおかげで与えてもらったたくさんの恩恵に感謝しています。それはポジティブなこととして私の中にあります。
それまでの生き方から、違う考え方や方向を見つけてチャレンジする。そのために、あの事故が与えられた、と今でも思っています。

逆に、自分が引き起こした「悪いこと」で生じたトラブルはどうだろう。

私は小学校時代、ずっと虐められていました。

友達が居ない私は、いじめっ子達や、その周囲の何もしない子達をただひたすら観察していました。

中学校に入って、クラブ活動を始めて、少し友達もできました。友達が出来たというのに、私はいじめっ子になりました。私が中学の頃は、精神的な虐めが主流でした。みんなで無視するんです。私は、一人の子を、みんなが嫌いになって無視するように仕向けていました。
虐める側になって気づいたのは、虐められた人が、どういう惨めな気持ちになるか、私には手に取るようにわかる、ということでした。
そのことが面白いだけで、私は虐めのターゲットをどんどん変えていきました。
クラスの女子を上手に操り、彼女達に虐めさせるのです。そうして、虐められている子が打ちのめされた頃に、救いの手を差し伸べるのです。
私は虐めている子たちの中には居ないので、虐められている子は、黒幕が私だということを知らない。その子は「虐められている私に声をかけてくれた」と思って、私に感謝します。

次に私は、他の子たちの意識を、次のターゲットに移行させるのです。
そんなことを続けた中2のある土曜日の放課後、私は生徒会室に呼び出されました。
部屋に入ると、クラスの女子全員が立っていました。カーテンを完全に閉め切った窓の向こうから、午後の光が当たって、暗い生徒会室に20数人の女性徒の姿が黒く浮き上がってみえました。
迫力満点でしたよ。あの恐怖は、今でもはっきり覚えています。

身体には、押したり、こづいたり、程度でしたが、言葉の攻撃はすごかったです。
実際に虐める側になった子たちと、その子たちに虐められていた子たちが、いまや共同体となり、私一人に呪いの言葉みたいなのをぶつけていました。

2時間ほど、私は黙ってみんなの言葉を受け取っていました。自業自得だと思って。
他にもいろいろ考えさせられたり、気づかされることがありました。
自分の言葉は、毒なんだと思ったものです。

その日から毎日、自分が一日のうち、話した言葉や人を非難するような考えを全て思い出して日記に書く習慣がつきました。クラス中、そして学年中のほとんどから無視されたので、学校で言葉を発する機会は少なかったですから、多くは私の心の中の声でした。

書いたものを読み返して、自分で評価するんです。
「この言葉には優しさが欠けてる」とか「相手のこういうところを考えていなかった」
人を嫌うような言葉を出したと思った時は、掃除機の柄で何度も自分の頭を殴りました。
「私の中の悪魔、出ていけ!」ってね。

自分の言葉に対して、「良かった」という評価はついに一度もできませんでした。
中学を卒業するまで、それを続けていました。鍵付きの、ぶ厚い日記が数冊分ありました。

私は今でも人前で話をするのが、とても怖いです。文字なら、なんとかかんとか、書けるのですが。
20年以上経っているのに、あの頃の自分を許せないでいたのです。

私が虐めた子が、自殺していたかもしれない。少なくとも自殺を考えた子は居るかもしれない。それを考えると、自分のとった行動が許せないのでした。

でね、明美さんのコラムを読んだ時、「魂のリセット」という言葉が私の心に浮かびました。

魂は全ての人の中で、光り輝いてる。
輝きたいと望んでる。

中2の私は、暴走していました。虐めることに楽しみを感じ、小学校時代の虐めっこたちに復讐した気分でした。生徒会室に呼ばれることもなく、虐めに成功(?)したまま、大人になることも、できたはずです。
魂は、私をいったんリセットしてくれたんじゃないか、と思いました。

それが本当かどうか、わかりません。
私は、過去の自分を責め、自分の足に必要以上に重い足かせをつけてきたと気づきました。
にっこり輝く笑顔になればいいのに、「だめ。あんたにはそんな資格はないよ。だってあの頃・・・」って自分に言うんです。

もちろん、暴走には要注意。そしてリセットの時が来たら素直にリセットされるべきだと思いました。

いただいたレッスンは今後生かしていけばいい。
これに気づいたのがリセット後24年って、どうよ(笑)。
私の心のお空にぽかぽか浮いてる雲のひとつを、私は一生懸命黒く黒く塗り続けていたわけです。
眺めては「よし。黒い!ばっちり黒い!」って毎日確認したりして。

どこかから、私の魂が「おーい。そこ、白なんですけど・・・またやってるよ~」って苦笑いしている図を想像して、今日は笑ってしまいましたよ。

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