toniのおかえりなさい ~こころ・からだ・スピリットの放浪~

食禅(じきぜん)~その⑥:最終回~

おかえりなさい

しばらく間が空いてしまいました。これが食禅のレポ最終回なのれす。

さて、皆さん食べ終えられたようです。
和尚の指示があり、香湯(こうとう)がまわります。

浄人が両手でやかんを持って現れます。香湯(こうとう)と呼ばれるこれは、要するにお茶です。このお茶を食べ終えた雲水に順に注いでいきます。使用した応量器を香湯で洗うためです。やかんの持ち方も、注ぎ方も動きが決まっていて、ここにも一切の無駄がありません。この応量器に関わる全ての動きが流れるようにできたら、それはもう美しい舞踊じゃないかしら、と想像する私です。(もちろん私はまだまだできませんぜ)
人や物にぶつかったり、音を立てたりしないように注意するのは、個人個人の修行を妨げないための配慮なのでしょうね。そして、さらにたくさんの理由があるのだと思います。

受ける人は、頭鉢にお茶を注いでもらう時も、手にもった匙で「これでいいです」の合図をします。喉が渇いているからといって、頭鉢にタップリとお茶を注いでもらったとしたら・・・

このお茶、普通の食事みたいに、すぐにズズ~って飲んじゃうわけじゃないのです。

香湯が注がれると、登場するアイテムが居ます。

たくあんです。
toniのお気に入り、男前のお兄ちゃんが漬けてくれた、あれです(バシ!!警策その⑤)

たくあんを箸で取り、これを使って、頭鉢から丁寧に洗っていきます。少し傾けたりしながら、内側や淵を撫でて器に付いた粥を落とします。洗い終えたら、次の器に香湯を注ぎます。こぼしたり大きな音を立てないように気をつけます。そして次の器を洗う・・というように、4つの器を順番にたくあんで洗います。

つまり!最初タップリお茶を入れちゃった人は、二番目の器に香湯が入りきらない場合もあるのですね~。でも頭鉢は仏さまの頭ですから。口をつけてはいけないのです。あらら~、ピンチだね~。

ひとつずつ器を洗い、布巾で拭いて、音を立てないようにまた重ねていきます。しつこいようですが、箸や匙の舐め方、拭き方の動作も決まっていて、これがとても上品で美しいのです。
お見せしたいわ。

全て洗い終えて、1番小さい鉢に残った香湯。ここには全ての食べ物のエキスが入っています。これを飲みます。実際には桶が回ってくるので、小さいお椀の中の浄水を相手に見えないように右手で隠しながら一口分残して流し、残りを飲み干すそうですが、今回は全て飲み干します。

これに抵抗がある人は、少なくないと思います。私はここに生命の全ての歴史が、全ての先祖達の交わりが、今この瞬間、この一杯のお茶の中で起きているんだ、という気がします。それを飲むということは、宇宙全体を飲むっていうことなのでは・・って。しかも同じ食べ物が二度入ることはありえませんから、お茶の味も当然、毎回必ず違う味になるのです。一生に1度きりの味。すごいよね~

飲み終えると、今度は鉢単を畳み、器の上に乗せ、袱紗で包む作業が待っています。この食禅ワークが始まってから皆さん終始首をかしげておられるので、明日は原因不明の首筋肉痛じゃないか?・・・と思いながら見ていた私(バシ!!す、すんません・・・)。

なんとかかんとか、応量器を包み終えました。最初と同じ。地味な茶色のお弁当箱みたいなのが並びました。
P4123918_edited.jpg


ひととおり片付けが終了した後、忍昭和尚が「五観の偈」のお話をしてくださいました。

「『いただきます』とは、『命をいただきます』という感謝の言葉です。皆さんは、自分がこれからいただく目の前の食べ物について、どこまで感謝をしていますか?」と忍昭和尚が問いかけます。

「料理してくれた人」「食材を作ってくれた人」「自然」・・・という言葉が出ました。

「私は、感謝というと、もっと前の、生命の始まりまでさかのぼっていくんですよ」

皆さんが真剣に緊張して話を聞いていると、和尚はところどころに面白いエピソードを登場させて場を緩められます。緊張と緩和。和尚のお話を聞いていると、いつのまにか、命に向き合うっていう教えが、そっと羽衣が心にかかったみたいに沁み込む気がするのです。

静かな呼吸みたいな、自然な教育法だ・・・と感じました。

映画「めがね」で、主人公の女性がフラリと訪れる宿は、とても自然に「たそがれる時間」を与えてくれる。彼女はストレスを溜めて都会から逃げるように小さな南の島にやってきた。しかし、たそがれたくない彼女は、あまりにもノンビリしてる宿が気に入らず、ほかの宿に行きます。次の宿は、「自然農体験ができる宿」。
そこのオーナー女性は「ここでは、わたし達が大地に恵まれて生かされてるってことに気づいてもらうの!土に触れて、大地の恵みを実感して感謝するのよ!ね?!分かるでしょ?」みたいな「押し付けがましい教育」でした。

主人公の女性は「こりゃ無理だ!」と一目散に逃げ出すわけです。
そしてあらためて、最初の宿の「たそがれ気分」の自然さに、心を開いて入り込んでいく。

忍昭師匠が教えてくれる「感謝」も、そんな自然さがあります。
あれ?気が付いたらその気になって感謝が増しちゃったわ~、みたいな。

すごいな~、かっこいいな~!と、ただただ尊敬です。思いっきりミーハーな感想でごめんなさい。

このブログを読んでくださって、食禅に興味を持ってくれる方が居られたら、是非いつか参加してください。一生に1度でも、こういう食との向き合い方を体験してもらえたら、私も幸せです。

先日、忍昭和尚が小田原地域限定のラジオ番組に出演されたそうで、その記録がこちらにあります。

soulbeauty.net
http://blog.soulbeauty.net/index.php?itemid=133914

最後に、器を洗い終えた香湯を飲み干すことについて、ラジオでの忍昭師匠の言葉を引用させていただきます。

 : 「食禅」は「コミュニケーション・アート」だと私は考えています。食事の中の、研ぎすまされた部分です。その中に、お釈迦様からの2000年の時の流れを受けて「今」があるんです。そのお釈迦様とのコミュニケーションであり、800年間のお坊さんとのコミュニケーション、大地とのコミュニケーション、宇宙から繋がった自分と食べ物とのコミュニケーション。
 食事って、本来そういうコミュニケーションなんです。素晴らしいアートだと思います。

―――片付ける時も、食事が終わると全部の器をタクアンとお湯で洗って、そして最後にそれを飲み干してしまう。

 : 本来はそれを流してしまうんです。でも食べ残しはもったいないので、それを飲み干してしまうんです。自分が下水になるということですね。そして、必要な栄養分と不要なものとを体の中で分けて行くんです。

___そして、飲み干すと同時に器もキレイになっている。

 : エコでしょ。(笑) 最後は「如天甘露味」と言って、天の極楽のコズミック・スープなんです。
 本当の原点ですから、これは世界のどこへ行っても分かってもらえます。茶道もブームになっていて、ものすごく真剣ですね。

        P4133953.jpg

お知らせ
食禅in 伊勢
2008年6月21日 二見浦にて
詳しくはこちらへ↓
http://sq-life.jp/event/003420.shtml

トラックバックURL


コメントを投稿








携帯でもSQ Lifeメッセンジャー・ブログが閲覧できます。
http://blog.sq-life.jp/m/
メッセンジャー・ブログ QRコード