井上ウィマラのともにいのちを耀かせる瞑想とスピリチュアルケア

2007年02月

瞑想による解毒 その5

一体感(Ekaggata)

 瞑想の集中力によって達成される最高の至高体験がこの一体感です。忘我恍惚と呼ばれたりするものですが、日常生活でも何かに没頭して時間感覚や自己感覚を忘れてしまうような体験をすることがあります。好きなことに熱中しているとき、人は自然にこの一体感を体験し味わっているものなのです。
 瞑想で特別な点は、意識的に選んだ呼吸、マントラあるいは何かの宗教的なイメージなどに意識的に注意を集中させてゆく訓練の過程で、この一体感に達することです。したがって、瞑想という意識的なトレーニングによって達成された一体感は、それだけ純度の高いものになります。
 一体感は、自我境界を緩めるために、自分と外界との境目がなくなるような体験をします。あたたかなつながりの感覚です。この感覚が、貪欲を解毒し中和します。つまり、何かが欲しくてしょうがないときというのは、自分とその対象とが決定的に分離していると感じているからなのです。一体感の中では、その分離感が和らぎ忘れられてしまうので、知らないうちに、その対象と切り離されてしまっていてその対象を自分のものにしたくて仕方ない渇望が一時的に消滅します。
 この一体感について、フロイトとロマン・ロランの間に興味深い書簡のやりとりが残っています。ロランが、宗教的な神秘体験を「大洋的感覚(Oceanic feeling)」と呼んだのに対して、フロイトが、それは母子一体のときの感覚に退行しているに過ぎないのではないかと批判しています。双方の言い分にそれなりの論点があります。ただし、仏教瞑想は、この一体感を究極的な神秘的宗教体験とはしていませんので、ロランの言い分も、フロイトの言い分もしっかりと汲み取った上で、瞑想の修行を続けてゆくことが大切だと思います。
 私たちの自我や自己概念は身体あるいは身体感覚に深く結びついていますので、瞑想的な一体感によってその結びつきが緩められると、ロランが指摘するようなさまざまな神秘的宗教体験が起こります。それは私たちの時間や空間に対する感覚が、自分の身体における体験に深く根ざしたものであるために、一体感によって身体に束縛されない様式の体験に触れると、永遠や無限に触れるような、そんな神秘的な体験として受けとめられてしまうものなのです。
 ウィニコットは、自我が現れてくるプロセスを魂が身体に住み込む過程として見つめ、そのために必要な環境を「ほどよい母親的環境(Good enough mothering envioronment)」と呼びました。赤ちゃんはひとりでは生きられません。母親的存在による世話の中で始めて成長し自我を育むことができるのです。ですから、フロイトの大洋的感覚は母子一体状態への退行であるという言い分にも頷けるところがあるのです。つまり、身体に束縛されない様式の体験とは、私たち人間が、まだ自我を獲得する以前に、母親的存在に絶対的に依存しながら成長していた頃に体験していたものと似ているところがあるモノなのです。
 ここで大切になるのは、この一体感をどのように使いこなすかという点です。この一体感は、いろいろな痛みや苦しみを一時的に忘れさせてくれます。貪欲による苦しさもそのひとつです。しかし、それは麻薬的な効果に類似する依存性をもたらすこともあります。ですから、このような一体感をうまく利用して人を洗脳したり、搾取したり、虐待していながらそのことに気づかないようにしてしまうシステムを作り上げてしまうのに利用されることがあるのです。伝統的な宗教教団やカルトの中で繰り返されるさまざまな事件の背後には、この一体感の問題が隠れています。
 一方、瞑想によって得られる一体感は、その力を利用して神通力と呼ばれる超能力的な力として利用される莫大なエネルギーを引き出すことを可能にするものでもあります。それは、一体感を出た後の瞬間の心の用い方によります。 
 ブッダの瞑想のユニークなところは、この一体感を上手に利用して、一体感を出た直後に、真実を洞察する智慧を導く仕方を明確に教えてくれているところです。その智慧をヴィパッサナー(Vipassana)と呼びます。ヴィパッサナーとは、ものごとのありのままを洞察する智慧です。このヴィパッサナーの智慧によって、一体感によって一時的に解毒されていた貪欲などの煩悩は、その根元から根本的に超越されることになります。

瞑想による解毒 その4

リラックス(Sukha)

瞑想で体験する喜びには、興奮性や刺激性があります。長い時間浸っていると、疲れてきます。その興奮や刺激が鎮まると、やがて安らかにリラックスした状態が訪れます。喜びをありのままに自覚しているうちに、自然に移行してゆくものです。ありのままを見つめていると、心は自然により安らかで楽な方向に進んでゆくようです。リラックスすることによって、後悔や心の浮つきが収まってきます。後悔は、過去の自分に対する微細な怒りが内向したもの。心の浮つきは、微細な興奮による落ち着きのなさで、時に不安の反転である場合もあります。喜びが強いエネルギーで強い怒りを中和してくれるのに対して、リラックスは和らいだエネルギーで微細なイライラや落ち着きのなさを中和してくれます。
 後悔は、集中力の妨げとなるので、深い瞑想に入るためには、誰かにその気持ちを聞いてもらうこと、すなわち懺悔告白をすることもよいでしょう。批判される心配がなく安心できる人に打ち明けて受けとめてもらうと、ホッとするものです。日本仏教では、懺悔文というものをひとりで読みますが、実際の瞑想修行では、師匠などに相談して聞いてもらうこともあります。以前の宗教が持っていた懺悔や告白の伝統は、現在では心理療法などの分野に受け継がれているようです。瞑想では、自分の心身を見つめてゆくことで、自然に自分を許して、力が抜けて、リラックスしてゆく流れが生まれます。これが瞑想による自己受容です。

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