井上ウィマラのともにいのちを耀かせる瞑想とスピリチュアルケア

2008年10月

愛情のしるし

神様がくれたひと時

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 私は今、高野山に単身赴任の状態で、助産師をしている妻は山梨で自宅出産の仕事を手がけている。その妻が久しぶりに高野山に来てくれて、1週間ほど紅葉を楽しみながら、主婦業をしてくれた。

いつもは、大学から帰って一人で食事を作り、食べ、片付けるのが日課なのだが、帰ると食事が用意されているというのは、とても嬉しいものだ。

今年の夏、私が庭に植えたサツマイモが実をつけた。収穫しておいたもので、妻がスイートポテトを作ってくれた。私は紅茶を入れて、ふたりでティータイムをしたときのこと。彼女が、「あっ、見て!」と気づいたのが、この写真(ティカップの底にハートの形が見えます)。

これまで、なんども喧嘩したり仲直りしたり、波乱万丈で大変だったけど、こうしてホッとしたとき、神様はふたりに大切なことの徴を見せてくれたのかもしれない。

私の祭壇 その2

太陽のマスク
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このマスクは、私の結婚披露宴の記念に、バンクーバーに住む弟が贈ってくれたネイティブの作品だ。

以前トロントで瞑想を教えていた頃、心理療法とシャーマニズムの研究会に参加していて、ネイティブのメディスンマンを招いたワークショップに出たことがあった。そのとき、彼は私に向かって「われわれの道はたびたび重なるだろう」ということを言った。

その時には何を言われているのかわからなかったけれど、このマスクを見たとき、自分の中で何か腑に落ちるものがあった。

今は高野山でスピリチュアルケアを教えているのだが
ここの真言密教では大日如来を根本にすえている。

私もお大師さんを偲んで、野山を歩いて朝日や夕日を拝むことが少なくない。

私の場合には、自然を楽しむという意趣なのだが
朝日や夕日に合わせて
テーラワーダ仏教で学んだ孔雀経を唱えている自分がいたりして不思議だ。

ブッダは、悟りを開く前の前世で孔雀として生まれ
朝夕に太陽を礼拝しながら仏陀として悟りを開くための波羅蜜の行を積んでいたという。

以前は太陽崇拝だと見下していたようなときもあったが
いろんな旅の中で自然に朝日や夕日の美しさに手を合わせ
大自然の中で生かされているいのちの素晴らしさやありがたさに
素直に感謝できるようになった自分がいる。

弟がくれた太陽のマスク
これからも折に触れて、いろいろな思い出をつなげる役割を果たしてくれるのだろう。

宝物

徳島で自然体験学校TOECを運営する親友の伊勢達郎さんのところで
これまた親友の橋本久邦彦さんと3人で
「平和と元気につなげる環境教育セミナー:
   生まれてきてよかったと思えるために」
をやってきました。

私は2日目の瞑想を担当しました。

初日に橋本さんがリードしてくれたプレイバックシアターの流れを受けて

世代間伝達する魂の絡み合いを読み解くコンステレーションの視点

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ありのままの自然な呼吸を感じること

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いくつかの違ったアプローチから
瞑想を一緒に体験していただきました

人生を共に探求する仲間たち
それこそが私の宝物なんだなぁって
しみじみと嬉しく思った週末でした

私の祭壇 その1

聖母子との出会い

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もう十何年も前のことになるが、カナダで瞑想を教えていた頃のこと。宗教間交流会議で知り合ったロルフ神父に紹介されて、モントリオール郊外のオカにあるテラピスト修道院で瞑想したことがあった。

 ある朝、マリア像の前で祈っていると、こんなビジョンが浮かんできた。

「あなたにこの子を授けます。この子は、この世界を光で照らすでしょう。しかし、光で照らされたとき、多くの人々は、自分の影を見て恐れおののき、互いを指差しながらお互いを非難しはじめることでしょう。イエスが十字架の上で私たちに示されたのは、この事実なのです。私がこの子を授けるのは、あなたに新しい世界の子供たちを育んでほしいからです。それは、真実の光に照らされたとき、自分の影を見て、それを自分自身を知るため、お互いをよりよく知り合うために使うことのできるようにすることです。そのために、私はあなたにこの子を授けます」

 3日間の瞑想が終わって、迎えに来たロルフ神父に私はこのビジョンについて語った。彼は私をある修道学校に連れて行って、あるシスターに紹介してくれた。彼女は、私がそのビジョンを受け取ったときの気持ちや感情、その後の様子について質問した。いろんなことを話して部屋を辞そうとするとき、彼女は自分の机の上においてあるものから何でも好きなものをもっていきなさいと勧めてくれた。そのとき私が選んだのが、このタブローである。

 仏教徒でありながら仏像にあまり関心がもてない私だが、なぜかこの聖母子のタブローは好きになってしまって、それ以来ずっとどこに移る時にも持ち歩いている。息子が生まれたときには、ベビーベットに貼り付けておいた。その母子と離れてしまって、私はこの絵の背景に見える2本の手のように、彼らを遠くから見守り祈るしかない。

 今では、高野山のささやかな祭壇に置かれているこの絵、私が遠い昔キリスト教の修道をしていたのかもしれないこと、母子関係の大切さをスピリチュアリティの中に位置づけること、そして、ロルフやシスターのようにいろいろな仲間に支えられながら修行してきたのだということを思い出させてくれる。


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