
8月1日から7日まで、釜石市の駒木山不動寺をベースに、震災ボランティア活動をしてきました。高野山大学から派遣される第1班でもありました。日程の関係か、学生の参加はなく、私と奥山先生の二人でのボランティアでしたが、その分フットワークよく多方面での活動や情報収集ができました。
以下その報告です。
要約:
瓦礫の片付けはそれなりに進んでおり、釜石地区の社協によるボランティアセンターの活動も仮設住宅における家具の移動などの作業が増えている。地域によっては、瓦礫の片付け作業にボランティアを入れることは、被災地の人びとの有償での仕事を奪うことにつながるという意見もあった。これから仮設住宅への移動が完了してゆくに連れて、仮設住宅における孤立化を防ぐための活動が重要性を帯びてくる模様である。
多くの団体が被災地でさまざまな活動を展開しているが、お互いに何をしているかを知らないことが多いため、そうした諸活動をつなげて、地方自治体の活動に結び付けてゆくためのネットワーカーが必要だと思われた。
活動内容:
8月1日:
午前3時に山梨の家を車で出発し、午後4時過ぎに釜石市の不動寺に到着。6時に釜石駅に奥山先生を迎える。
8月2日:
社協のボランティアセンターにて、午前中は仮設住宅の家具の移動、午後は半壊ビルの瓦礫撤去作業を行う。移動作業では、家具に傷をつけてしまうことに対するクレームの厳しさが伺え、被災者の怒りの吹き出し口に立たされる市の職員の難しさを感じた。瓦礫撤去作業に参加している地元のボランティアさんたちは、口が重く、それぞれの思いがあるようであった。
8月3日:
午前中に、カリタスジャパンにU氏を訪問して、これまでの活動について話を伺い、カリタスジャパンのメンバーに加えていただいて、仮設住宅の談話室における茶話会(お茶っこサロン)の活動に参加させてもらえることになる。午後は、心のケアに関するフィリアというチームの茶話会のメンバーとして、主に子どもたちといっしょに遊ぶボランティア活動をする。
8月4日:
平田仮設住宅第2号における茶話会活動に参加。ビラをもって戸別訪問をするが、このときにいろいろなお話を伺う機会が得られた。
その中でも、不眠の訴え、職を探す厳しさ、畑作業をすることによって心が慰められることなどの情報が印象に残り、それにどのように対応してゆくかに関して、シートにアイディアを記入して提出しておいた。
8月5日:
早朝の散歩で、巡回中の大阪府警から派遣されてきた警察官と話す機会が得られた。警察も仮設住宅をまわるそうで、自治会長さんからいろいろな情報が得られるのではないかとのこと。保健師ルートから上がってくる情報と、警察ルートから上がってくる情報を総合して、ハイリスクの人に対するサポートを考えるシステムができればと思う。仮設住宅の談話室における茶話会情報を回覧板で回してもらえばとアドバイスをもらう。
平田仮設住宅第1号における茶話会活動に参加。戸別訪問で話をしてくれた人の何人かが茶話会にも顔を出してくれた。めかぶやわかめの種付けを終えられたと言う漁師さんたちの話、海の仕事から製鉄所の仕事に移り、神楽の太鼓を叩き、カラオケや盆栽作りに生きがいを見出したという男性の被災前後の話、女性たちの愚痴がこぼせてよかったという声がありがたかった。この日は、野外での足湯も行われた。
夜、橋野地区でボランティアセンターを主催するT氏を訪問。被災した根浜地区で有名な宝来館という有名な旅館の長男さんと出会う。彼は、仮設住宅からボランティア活動にも参加していると言う。T氏とU氏とが出会える場をセッティングしてもらえるようにお願いする。
8月6日:
根浜地区宝来館訪問。海に沈んでいる瓦礫を引き上げるボランティアに来ているNOP団体代表から話を聴く。
大槌町を視察。小槌神社のM宮司から話を聴く。千五百件ほどの氏子があり神主専業でやっている。津波から免れたため、多くの取材やお守りを求めに来る人があると言う。流された大神楽の獅子が戻ってきて、9月の祭りを行うことを決定したという。
小槌神社の前で宮大工をしていたKさんと出会い、瓦礫の中から観音さんが見つかったのでお祭りしたという話を伺い、読経。大神楽の話をしてみると、昨日平田の仮設住宅でお話を伺ったIさんと同級生とのこと。二人がつながってよかった。
山田町社協のボランティアコーディネーターSさんからお話を伺う。ご自身も被災され仮設住宅から通っているとのこと。仮設住宅に関しては市と社協との間にギャップがあり、談話室の使い方などに関して具体的な見通しができるのは9月以降だろうとのこと。
仮設住宅の掲示板に、移動のボランティアや介護のレスパイト(一時的休養)に関するボランティアのお知らせが貼ってあったが、社協は関知していないとのこと。タクシー会社との競合問題もあるらしい。
あるNPOから依頼を受けてヘリコプターで浮上してくる遺体を探す仕事をしている操縦士と整備士さんからお話を伺う。海水温が上がるにつれて、海底の泥の中に埋まっている遺体が浮上することが多くなってくるとのこと。先日上がったご遺体は、まるで時間が止まったかのようにそのままの状態で浮かんできたそうだ。
小本の水門付近では、以前に津波の被害を受けた所は助かったが、水門で跳ね返された水が流れ込み、これまでは被災しなかった地区が被災したため、「水門津波」と愚痴をこぼしているという。
真崎港の被災地で釣りをしていた漁師さんは、温暖化による海面上昇も今回の被災を大きくしたのではないかとお話された。
8月7日:
午前4時に不動寺を出発、午後6時に帰宅。
以上
2011.8.16
「仏教と乳幼児期」

8月1日から5日まで、横浜パシフィコで世界乳幼児精神保健学会の世界大会に参加してきました。3日の午後、私は、オーストラリアの音楽療法士ステファン・マーロック、イギリスの臨床心理士マリア・ポッジと3人で「仏教と乳幼児期(Buddhism and Infancy)」というワークショップを行いました。写真は右側からコーイン・トレバーサン(ステファンの師匠で母子コミュニケーション研究の第一人者)、ステファン、私、マリアです。
先ず最初に私がヴィパッサナーを中心として仏教瞑想を概説して、瞑想にはウィニコットの言う「抱っこ」的な環境を創り出す効果があることを説明しました。次にステファンが、喃語による赤ちゃんとお母さんのコミュニケーションにはすでにリズム、メロディーそして物語性という3要素による音楽的なコミュニケーションが成立しており、この土台の上に意味を持つ言葉によるコミュニケーションが為されるようになること、仏教の縁起思想はこうした関係性の上に成り立つ人間理解に有用なことを話しました。そして最後にマリアが、実際の母子カウンセリングの臨床現場において仏教の瞑想的な姿勢がどのような効果をもたらすかについて体験を語りました。
最後には活発な質疑応答が為され、ワークショップは予想以上に好評で、事務局長からもこのチームで継続的に発表をしてゆくようにという嬉しい応援を頂きました。仏教瞑想はマインドフルネスという名前で西洋の心理療法をはじめとする多くの臨床現場にかかわる人たちに実践されるようになって来ています。日本仏教の再生には、こうした実践型の瞑想が逆輸入されることが必要なのかもしれません。
スピリチュアルケアは、人生の最後の支援だけではなく、チャイルドケアの中で赤ちゃんとお母さんがよりよい時間を過ごせるように応援することも大切な使命としているのです。命をつなぐ世代間伝達の場で、悪循環を断ち切り、よりよい喜びと思いやりの循環を創造するお手伝いです。
今回の大会は、こうした人生最初期のスピリチュアルケアを考えてゆくために、赤ちゃんとお母さんの間に起こっていることに関して科学的研究が相当に熟してきたことを実感できる貴重な機会でした。
スピリチュアルケアが注目されるようになったのは
ホスピス運動の流れの中のことでした
末期がんなどの身体的な痛みが緩和されたときに
それゆえに浮上してくる存在の深い苦しみがあります
それらは、なんで生まれてきたのか?
死んだらどこに行くのか?
死に対する不安
罪悪感
などの形で表現されてくるものです
自然に死を迎えるような場合でも
死の2週間くらい前に、身の置き所のないだるさやイライラを体験することもあります
それらの苦しみはスピリチュアルペインと呼ばれ
この存在の根幹に関わる深い痛みに寄り添いながら
本人がより安心して最後のときを迎えることができるようにお世話する支援を
スピリチュアルケアと呼ぶようになりました
大切な人を亡くした遺族の悲しみに寄り添うのも大切なスピリチュアルケアの一部です
そもそも、このようなケアは宗教者がになっていた部分があったのですが
既成の宗教が持つ超越的あるいは権威的な姿勢は
えてして、本人の本当の気持ちをないがしろにしてしまうことが少なくありません
そこで、宗教者であるかないかを問わず
どのような宗教を信じる人に対しても
その人のそのときの本当の気持ちを大切にして寄り添うことができるような
ケアのあり方を実現することができるように
特定の宗教にこだわらないスピリチュアルケアが大切だということがわかってきました
こうして、死の看取りや喪失の痛みに寄り添っていると
スピリチュアルケアの現場ではいくつかの大切なテーマがあることが感じ取られます
それらは
1.人生の意味を見出すこと
2.自分を許し、他人を許すこと
3.お世話になった人に「ありがとう」を言うこと
4.大切な人に「大好きだよ」を伝えること
5.さよならを告げること
です
考えてみると、これらのテーマは人生の最後だけではなく
子供を育てるときにも、さらには人生全体で重要なテーマであることに気がつきます
自分の死に直面することも
人の死を看取ることも
子どもを産んだり育てたりすることも
私たちはそれまでに体験したことのない状況に向かい合い
自己存在を根底から揺るがされるような不安を経験します
スピリチュアルケアは
そうした人生の危機の渦中にある人に対して
共感と傾聴をベースにして寄り添いながら
ケアされる人もケアする人も
ともにいのちの光を耀かせることができるような流れを促進するいのちの営みです
それは
身体のケアにも
心のケアにも
社会的なケアにも
子育てにも
保育にも
教育にも
あるいは職場のなかでも
あらゆる対人援助の中で
ケアする人の深い思いやりがその人の姿勢や態度から漏れ出てくるものです
スキルではなく、そのスキルをどのように使うかというメタスキル的なところがあります
これまでの知識や体験ではどう対応してよいかわからないような状況において
どのように試行錯誤できるかの姿勢から漏れ出すものです
そのようなスピリチュアルケアがあると
人生の危機は成長の機会へと変容します
でも、スピリチュアルケアワーカーは
成長だとか変容という概念にこだわることなく
目の前の出来事に誠実に対応してゆくだけです
今ここの出来事に心を開くこと
そこで、スピリチュアルケアと瞑想が出会います
瞑想とは、ありのままに見つめる技
心と身体を総動員して
自分の中にあるもの
他人の中にあるもの
そして、自分と他人の間にあるもの
すべてをありのままに見つめ感じててゆく
ありのままに見つめる心は、自然に思いやりの心を開いてくれる
スピリチュアルケアとは、人生の危機にある人が
それを成長の機会として生き抜くことができるように
寄り添って支えること
与えることと受け取ることが循環して
お互いにいのちの光が耀きだす
そんな生き方ができるように、瞑想は人生を導いてくれる
携帯でもSQ Lifeメッセンジャー・ブログが閲覧できます。
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