井上ウィマラのともにいのちを耀かせる瞑想とスピリチュアルケア

3種類の智慧

仏教瞑想では、智慧を3つのタイプに分けてとらえます

ひとつは、聞くことによる智慧(Suta-maya Nyana)
 物事のあり方や、心の持ち方、修行の進め方など
他者から聞いたり教えてもらって得た智慧のことです
情報化社会に生きる私たちは、インターネットや雑誌や書籍、テレビやラジオや講演会
イベントやワークショップなどを通して多くの情報を得ることができます

二つ目は、考えることによる智慧(Cinta-maya Nyana)
 得た情報について、自分の力で整理し、想像力を駆使して考え
さまざまな組み合わせの可能性を試し理論化しながら獲得してゆく
思考力による智慧です

三つ目は、修行による智慧(Bhavana-maya Nyana)
 実際に瞑想修行をして、あるいは日常の生活の中で実践してみて
体験的に獲得してゆく智慧のことです
あらゆることが無常であり無我であると頭の中ではわかっていても
日常生活の中で思い通りにならない現実に出会ったとき
そのときに湧き上がってくる不満や、不安や、イライラや、怒りなどをどのように見つめ
味わい、それらの感情的なエネルギーとどのように付き合い、使い
手放して行くかを通して
実際にものごとの無常や無我を体験的に理解し納得してゆくことができます
 ものごとが思い通りにいかなからこそ、助かることもあるのです
思い通りにいったひとときの有頂天のために、足元をすくわれることもあります
 思い通りにいっているときにも、思い通りに進まないときにも
無常であること無我であることを思い出して、自分の感情を大切に受けとめつつ
心を開いて、謙虚に、あきらめずに、試行錯誤を進めてゆける開かれた生き方の中に
体験的な智慧が獲得され、育まれてゆきます

 仏教瞑想で言う3つの智慧は
座禅などの特別な枠の中での瞑想修行に限られたものではなく
日常生活における行住坐臥のすべての中に生きてゆかれるべきものなのです

(パーリ経典のなかでブッダが説く無我とは
我があるかないかについての議論ではありません
私たちの存在が我の思い通りになるものか否かについての議論です
無我とは
我の思い通りにならない生老病死の現実的な苦しみを理解し、受容して
思い通りにならない現実を苦しみにしてしまう原因である衝動的な渇愛を見つめ
味わい尽くし
手放すことのできる智慧によって
思い通りにならない現実の中で
試行錯誤に心を開いて自在に生きてゆくしなやかさを開いてゆくことなのです
そのような心の静けさを涅槃と呼びます)


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