
先日、天川神社で能の奉納上演を見ました。鼓や地歌のかもし出す雰囲気は、見ている側を含めて全体に一種のトランス状態を作り出すのだなぁという感じを受けました。全体をファシリテートするように鼓を打つ者の目は、宙を見てどこにも焦点を合わせていないようです。よく見てみると、舞台にいる人たちはみんなそんな眼をしています。つまり、この世を見ているのではないのでしょう。
こうした変性意識状態のような空間で、さまざまな悲しみや恨みや苦しみの物語が語られてゆきます。それは、まさにグリーフワーク(悲嘆の仕事)そのものです。すべてのものを透明にして通り抜けさせてしまうようなトランスの器の中でゆっくりじっくりと表現された悲しみや恨みや痛みは、スピリチュアルな次元でしっかりと受けとめられて、許しや鎮魂につながってゆくのではないかと感じました。
能とは、乱世の共同体の中でそんなスピリチュアルなケアをすべく企画された芸能ではないか、世阿弥の言う花には、そんなスピリチュアルケアを実現させてしまう力が秘められているのかもしれないと思いました。
7年も前から天川神社に行ってみたいと想いつつ、
まだ実現できないでいます。
宮島の能舞台での能を観たことがあります。
天川神社の能も観てみたいです。
透明であることを、
ずっと望んでいる私です。
2007年06月07日 21:19
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